<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>沖縄バプテスト連盟所属　ルア教会 &#187; ネットでバイブル</title>
	<atom:link href="http://ruahbaptist.com/category/bilble/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://ruahbaptist.com</link>
	<description>沖縄県浦添市にあるプロテスタント教会です</description>
	<lastBuildDate>Sun, 21 Jun 2026 03:18:16 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.0.4</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/category/bilble/feed" />
		<item>
		<title>霊的スランプに学ぶ（第４回：知性・感情・意思）</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/2083.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/2083.html#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 13 Feb 2018 03:22:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[霊的スランプに学ぶ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=2083</guid>
		<description><![CDATA[ロイド・ジョーンズ：霊的スランプから学ぶ 第４回：知性・感情・意思 プロのテニス選手はみんな利き腕だけが極端に太いです。それは利き腕にラケットをもって集中的にプレーするからです。見た目にはアンバランスです。昔はよく「専門 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2018/02/DSC00925.jpg"><img title="SONY DSC" class="alignright size-thumbnail wp-image-2084" src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2018/02/DSC00925-150x150.jpg" width="150" height="150" /></a>ロイド・ジョーンズ：霊的スランプから学ぶ<br />
第４回：知性・感情・意思</p>
<p>プロのテニス選手はみんな利き腕だけが極端に太いです。それは利き腕にラケットをもって集中的にプレーするからです。見た目にはアンバランスです。昔はよく「専門バカ」と言う言葉を使いました。クイズ番組に出たある有名私立大の教授は西洋史では日本で有数の専門家でしたが、クイズで出題される一般常識問題にとんでもない答えを出して視聴者を大笑いさせました。自分の専門分野以外はからっきし無知なのです。私たちの人生はバランスが大切です。信仰もバランスが大切です。ある部分が成長して、ある部分が未熟というのは不健全な信仰と言えます。バランスの取れた信仰とはどういったものでしょうか。</p>
<p><span id="more-2083"></span></p>
<p>１．サタンの狡猾さに備える</p>
<p>霊的なスランプに陥る人の場合、信仰生活に対するイメージにある幻想をもっていることがわかります。「一度、イエス様を信じるなら悩みがなく、喜び、幸せに暮らせる」こう考える人はいつか霊的スランプになるとＪ師は言っています。クリスチャンの国籍は天国であり、罪赦され、永遠のいのちに入っています。しかし、同時にサタンに絶え間なく攻撃される地上に住んでいるのです。私たちは「信仰の戦い」の中にいます。防御しなければ攻撃をまともに受けて、撃沈させられてしまいます。私たちは武装し戦わなければいけないのです。そして、サタンはあらゆる角度から攻撃をしますし、あらゆるタイプの人に近づいてきます。あからさまに迫害してきたり、光の天使になりすまして、甘い誘惑で近づく場合もあります。とても狡猾なのです。私たちはサタンの目的を知らなければなりません。サタンの目的は神の恵みを台無しにし、クリスチャンが意気消沈して、光が消され、塩気を失うことです。極端な言い方をするならば、クリスチャンとなった証明はサタンの攻撃を受けると言うことです。サタンから攻撃されない人はクリスチャンでないか、サタンから影響力のない人と認定された寂しい無力なクリスチャンのどちらかです。ですから、試練（迫害など）はクリスチャンの証しです。この試練が来た時に、サタンの策略を知らないので、私たちは落ち込んで、惨めな気持ちになります。その裏でサタンがほくそえんでいます。そして、霊的スランプになってしまいます。このサタンの策略を理解して、戦いに備えるクリスチャンになって行きましょう。</p>
<p>２．トータル的クリスチャン</p>
<p>「神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」ローマ６章１７－１８節．</p>
<p>このみことばでパウロはローマ教会の人たちが、クリスチャンの揺るぎない信仰の土台を確立して、解放と自由を味わっている状態を神に感謝しているのがわかります。どんな状態かと言いますと、「かつてサタンの奴隷、罪の支配下」にあった彼らが今はそれから解放されて、クリスチャンの自由を味わっていると言うことです。かつては惨めなクリスチャンだったのです。彼らは信仰をバランスよく成長させ、トータルで整えられたクリスチャンに変えられたのです。</p>
<p>ローマ教会の解放の理由は「伝えられた教えの規準に心から服従」したからです。この箇所には信仰の３つの領域が表されています。知性、感情、意思です。まず、第一のステップに「伝えられた教えの基準」がありました。Ｊ欽定訳聖書には「伝えられた一定の教理」という表現になっています。使徒たちから教えられた正統な一定の教理を知性、思考力をもって学んだわけです。これこそ大切な基準です。これからずれたら、ボタンの掛け違いで、すべてが間違いになります。どんなに勢いがあり、繁栄しても異端は異端です。第二のステップに「心から」この表現に感情がともなって同意し、学んだと言うことが言えます。学んではいるけど、「なぜ」「でも」と感情が反発する場合は「心から」とは言えません。ローマ教会の人たちは喜んでアーメンと言えたと言うことです。第三のステップに「服従した」ここで意思がみことばと結びついて機能しています。みことばを悟って、心から同意して、そのみことばが生活の中で実践されて生きたものとなっている。これが解放の理由でした。この知性、感情、意思の三要素がトータルでバランスよく整えられないといけないのです。サタンは信仰を三つのどれかに偏らせ、アンバランスなクリスチャンにしようとして働きます。</p>
<p>３．偏った信仰の特徴</p>
<p>①	知性への偏り</p>
<p>ある人たちは頭だけを動員して、信仰を理解しています。聖書の釈義、歴史、背景など興味を示して、熱心ではありますが、キリスト教的哲学、観念でしか捉えません。ヨーロッパの教会はこの知識偏重の信仰に陥りました。その結果、神学は発展し、偉大な神学者を輩出しましたが、その代わり、教会は閑古鳥が鳴き、立派な教会堂は観光客で維持されています。そして、何よりも第二次世界大戦の時に、独裁者が台頭した時、教会は無力でした。その暴走を指をくわえて見ているだけでした。日本でも知識偏重で、信仰が冷えた教会が存在します。Ｊ師はこのような知識偏重の教会には人間的優しさに欠け、論争が多く、人間的な言葉が飛び交う、そういう雰囲気を持っていると言っています。なぜなら、せっかく研究の対象となる福音が実生活に適用されないから、人生に変化がまるでないのです。このようなグループに属する人の中には、ヒューマニズムに汚染して、聖書から逸脱した活動があります。知識だけで、ヒューマニズム化した信仰で、ハートに信仰が降りてこない悲劇です。また、ローマ１２章の賜物において教えの賜物を持った人も、そのような傾向にならないように注意が必要です。</p>
<p>解決として、知識に偏りがちな人は、霊的な部分を養う必要があります。「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい（ローマ１２：１１）」。このみことばは教えの賜物を持つ人への助言ですが、「霊に燃える」ことがポイントです。熱い信仰でみことばを研究すると言うこと。ルカは教養のある教えの賜物を持つ人でしたが、彼の文章には霊に燃えているのが伝わります。霊に燃えるにはよく祈り、賛美をささげることです。</p>
<p>②	感情への偏り</p>
<p>ある人たちは福音が感情により影響を与えている人たちもいます。そのような傾向のある教会に行くと、明るく雰囲気があります。「ハレルヤ」と熱烈歓迎してくれます（ハグする人もいる）。賛美もにぎやかで、手を上げたり、たたいたり、踊る人もいます。基本的に優しい人が多いです。しかし、それが体験的、情緒的な解放を求めることが目的となったりして、大きな危険をはらんでいます。人間は本来、宗教的に造られているいますので、霊的な体験を求めるのは当然ですが、偏るのはよくありません。このような人が引越しをすることになった時、新しい町で教会を選ぶ基準は会堂や、人々の雰囲気、賛美などです。牧師が聖書に忠実に釈義しているかよりも、いかに感動する説教をするかで決めます。そのような教会には人を魅了する、カリスマ的牧師が出現します。また、彼らが求めているのは幸福感、喜び、興奮です。これらを提供できない教会は彼らにとって良い教会ではないのです。聖書を深く学ぶこと、生活に適用することは重要ではないので、思考が停止している信徒が多いです。普段は熱心ですが、感情が落ち込むと責任を放棄したり、みことばで信仰に立つことをせず、感情に流されます。みことばが絶対服従の指針ではなく、気が向くと従う、自分が落ち込んだり、気分がすぐれないと、背いたりします。そうやって霊的スランプになって行きます。</p>
<p>解決として、聖書を学びに重点を置くことです。天気のような感情に流されない、みことばに立つ生き方をする方法を学びます。感情が落ち込んだ日も、気が向かない日も、しっかり責任を果たし、忠実であるように生きるすべを学ぶのです。ヨハネは愛を強調する情緒的な人ですが、手紙は福音をしっかり押さえて語っています。</p>
<p>③	意思への偏り</p>
<p>また、ある人たちは意思、行動に焦点を当てるグループがいます。彼らは伝道を強調します。このような教会で救われた人はほとんど、有名な伝道者の集会で、前の方で招かれて、本当に福音が理解したのかはさておき、伝道者が熱い説教を語り、イエスを受け入れよと招いたので、その迫力に圧倒されて、心より足が先に動いたという人が多いのです。「主のために」「決断」とか言う言葉がよく使われます。たとえば十分の一献金も聖書を深く学んで、その根拠を理解し、それが恵みであり、祝福であることを知って、自らの意思でささげるのが普通ですが、牧師が「あなたは主のものを盗んでいる」「天の窓が開くと言っている、試しなさい」とか半強制的に急き立てられてやるような傾向があります。伝道、献金、礼拝出席、これらは自発的なもので行なうのが理想ですが、それらが見えない圧力で、やらないと不信仰だと思われる雰囲気があって、やらされる。意思が強調されると、そのようなことが起こります。異端と言われるグループは論外ではありますが、意思を強調します。福音を知性で十分に消化する前に、「従え」と圧力をかけるので、こちらも思考停止になります。熱心ですが、依存心が強い信徒で育ちます。カルト問題を起こす教会もこのグループが多いです。このグループの指導者も福音を理解していません。</p>
<p>解決として、指導者依存から脱却することです。指導者が教えるまま受身にならず、ベレヤの人々のように、パウロが言ったことが、果たして聖書的かどうか、自分の頭で考えて、答えを導き出すことです。カルト集団に取り込まれる人は、家族不全で育った人が多く、そのような心の問題も扱う必要もあります。イスラエルの人々はイエス様がメシアであるか、自分の判断ではなく、指導者の判断を最終的に仰ぎました。指導者には当然、重い責任がありますが、指導者に従ったイスラエル人も滅びました。最後は自分の責任で考え、判断する必要があります。コリント教会には奴隷の信徒が大勢いました。奴隷にもパウロは福音を教えました。福音はどんな人にも御霊によって理解できるものです。誰でも自分の判断で聖書を理解できます。</p>
<p>４．教職者の問題</p>
<p>牧師たちには耳の痛い話ですが、Ｊ師はこのような偏りを生んだ原因に、教職者の指導が問題だと指摘しています。牧師になるために献身した人は、まず、神学校に入ります。神学校はどこかの教団に属するものです。教団にはその歴史と教理があります。異端でなければ、多少の相違があってもお互いに交流はできます。神学校で学んだ神学が強烈にその人に働いて、その人の牧師としての素地ができます。説教を聴けば、どこの教団かわかるものです。その教団の神学を土台として聖書を読んでいくと、その神学から導き出される解釈になります。知性重視の教団の牧師はそのように育てられ、信徒はその指導を受けます。そのようにその教団の流れを組む人間がたくさんコピーされていきます。人には賜物もいろいろ、タイプも背景、育ちも違います。そのような個性が失われ、金太郎飴のように同じ信仰者が作り出されるなら、それは聖書的とは言えません。このような偏りを回避するために、牧師も信徒も個人ディボーションを習慣にする必要があります。神様が個人的に語りかけるみことばを聴く習慣です。ディボーションのない生活を送るクリスチャンは、直接の語りかけ、教えがないために、指導者の釈義したその流れの教えを受け身で取り入れるようになります。</p>
<p>知性・感情・意思の３つの要素はバランスが大切なのです。３つのうち１つだけ欠けても良くありません。福音が３つの領域に浸透して、はじめてその人は福音化したことになります。聖書の知識はよく知っているけど、頭でっかちで愛情も行動もとまなわない人はバランスに欠けます。いつも明るく、喜び、賛美していても、聖書をよく知らない、愛の行いがない、伝道しないもバランスに欠けます。伝道も奉仕もよくするけど、それが聖書に基づいていない。指導者にせかされて衝動的にやっているのもバランスが悪いですね。イエス様は３つの要素が整った全人的信仰者を育てようとしています。最後に３つの領域であなたの開かれて、良い部分は３つのうちどの領域ですか。逆に弱点と思われる部分はどこですか。そして、それを解決するために、どう補っていきますか。課題を見つけましょう。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/2083.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/2083.html" />
	</item>
		<item>
		<title>霊的スランプに学ぶ（第３回：歩く木のような人間）</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/2061.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/2061.html#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 29 Jan 2018 03:00:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[霊的スランプに学ぶ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=2061</guid>
		<description><![CDATA[１章で霊的スランプを脱することは急務であり、重要であること、そして、その基礎として２章では信仰義認について学びました。そして、今回の３章で次のステップの学びに入ります。テキストになるのが、以下のマルコの福音書にある盲人の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2018/01/DSC00123.jpg"><img title="SONY DSC" class="alignright size-thumbnail wp-image-2068" src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2018/01/DSC00123-150x150.jpg" width="150" height="150" /></a> １章で霊的スランプを脱することは急務であり、重要であること、そして、その基礎として２章では信仰義認について学びました。そして、今回の３章で次のステップの学びに入ります。テキストになるのが、以下のマルコの福音書にある盲人の目が開かれる箇所です。</p>
<p>「彼らはベツサイダに着いた。すると人々が、盲人を連れて来て、さわってやってくださるようにイエスに願った。イエスは盲人の手を取って、村の外に連れて行かれた。そしてその両眼につばきをつけ、両手を彼に当ててやって、「何か見えるか。」と聞かれた。すると彼は、見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます。」と言った。 それから、イエスはもう一度彼の両眼に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。そこでイエスは、彼を家に帰し、「村にはいって行かないように。」と言われた。」マルコ８章２２－２６節。</p>
<p style="text-align: left;">
<p style="text-align: left;"><span style="background-color: #ffffff;"><span style="color: #ff0000;"><br />
</span></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="background-color: #ffffff;"><span style="color: #ff0000;"><span id="more-2061"></span></span></span></p>
<p style="text-align: left;">１．盲人のいやしを通しての教訓</p>
<p style="text-align: left;">なぜ、この盲人のいやしは段階的に少しずついやされたのでしょうか？もちろん、イエス様が苦戦して、手間取ったからこのような方法になったわけではありません。他の箇所では瞬時にいやされるケースもあります。全能の神の力によっていやされるのに、なぜ、このようないやされ方があるのでしょうか？ジョーンズ師によると、イエス様はあえて、その時の弟子たちに教訓を与えるために、このようないやしを行なったと解説しています。この出来事の前の節では、弟子たちがイエスの教えを悟らないで苦労しているのがわかります。</p>
<p style="text-align: left;">それに気づいてイエスは言われた。「なぜパンがないといって議論しているのですか。」・・「まだわからないのですか。悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。」・・「目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。」・・イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」</p>
<p style="text-align: left;">ここでイエス様がいやしのプロセスで教えたいことは、この盲人はイエス様に触れましたが、少しは見えましたが、はっきりと物事を認識できなかったと言う事です。人間が歩く木のように見えました。まだ、十分に悟れない弟子たちと同じ、中途半端な状態です。ジョーンズ師は、霊的スランプに陥る原因の一つは、霊的な真理を悟れない状態にあると指摘しています。イエス様は五千人にパンを与える奇蹟を見せました。弟子たちもそばにいて、それを体験したわけです。しかし、それを体験しても、霊的にまだ開かれていなかったので、今度は四千人を前にした時に、同じように悩みはじめました。そして、自分で何か努力してパンを上げないといけないと考え、思い煩いました。イエス様がどういうお方か悟っていたら、このような悩みとはおさらばしているはずです。私たちもイエス様を信じているということは、全能の神の力が私たちのうちに働くことになります。その真理を深く悟るなら、どれだけ自分の人生に大きな可能性があるかがわかるはずです。それなのに、そのお方が誰なのか悟っていないので、自分の力だけを見て、落ち込み、嘆くようになるわけです。</p>
<p style="text-align: left;">イエス様は盲人を段階的にいやすことで、「この盲人は人を木のように歩く人間に見えている。君たちも、この盲人のようなのだ。中途半端にしか、真理を悟っていない。だから、私の言葉が悟れないし、現実の世界で悩むしかないのだよ。」そう言っておられるようです。ジョーンズ師は「この人は盲人ではないが、同時に盲人である。」と言っています。この言葉を真理を悟れないクリスチャンに適用するなら、「あなたはイエスを信じてクリスチャンとして、新生はしているが、悟れないので、クリスチャンとしての本来の喜び踊る生き方ではなく、霊的スランプで悩み、うなだれているのだよ。」と表現したらいいでしょうか。イエス様を信じている、だからクリスチャンである。新生しているし、罪赦され、天国にも行けるだろう。しかし、なぜ、そんなに不幸せな表情をしているの？なぜ、敗北感でいっぱいなの？そういう人を歩く木のような人間と言う事です。歩く木のような人間のクリスチャンは、自分でもそう感じています。救われ、新しくされた者とは思えない自分に困惑しているのです。</p>
<p style="text-align: left;">クリスチャンなのに確信がない、「冷たくもなく、熱くもない」「見ているのに、見えていない」こういう状態のことを言います。</p>
<p style="text-align: left;">２．霊的スランプの人は何を見ているか</p>
<p style="text-align: left;">① この世のものを求めている</p>
<p style="text-align: left;">見ているのに見えない、聞いているのに悟れない。こういうクリスチャンは、何を見て、何に関心を持っているのでしょうか。ジョーンズ師は「新聞の三面記事を読みあさり、実社会や劇場で、人々に目立つ、賞賛されるような生き方に憧れ、それを素晴らしいと感じ、うらやましがっている人。これこそ充実した人生だと確信している人」と表現しています。世の中の人は、「もっと出世すれば、収入が増えれば、美しくなれば・・」とその先に幸せがあると思い込んでいます。しかし、ハムスターの回し車のように、ゴールのないレースに参加しています。そして、そのレースで虚しさ、絶望感が増していくのです。歩くの木のような人間は、まさにクリスチャンでありながら、そのような価値観に縛られている人と言えます。それで、霊的に真理が遮られているのです。</p>
<p style="text-align: left;">② 律法、ヒューマニズムに生きている</p>
<p style="text-align: left;">十戒とか山上の説教などの教えをめざすことで、それを人生の目標とするような人です。トルストイも山上の説教にあこがれ、小説で得た印税を全部、貧しい人に施しました。もちろん、その行為自体は良いことであり、間違っていません。しかし、それは福音から湧き出る恵み、いのちによって、成されるべきです。福音に生きる生活ではなく、キリスト教的倫理、道徳、社会活動によって、あらゆる善行を行なう生き方です。言葉を変えるなら、このような生き方をする人は、自分で自分を救うために善行している。自分の善行で人生を充実させようとしている、自分の善行で自分を納得させようとしています。前回触れましたが、福音の基礎は、自分で自分を救うことはできない。人間は絶望的状態にいるということを認めることが初めです。</p>
<p style="text-align: left;">３．歩く木のような人間にある要因</p>
<p style="text-align: left;">① 教理を知らない</p>
<p style="text-align: left;">聖書を読み、適用する前に、正しい教理が心に刻まれていないなら、あいまいで適当な理解になり、その適用、生き方が、聖書とはずれていきます。キリストはどのようなお方か？その死と復活の意味、聖霊とは？罪について、赦しについて、救いについて、教会とは？これらを明確に学んでいなければ、自分本位の解釈と適用によって、いずれ霊的スランプになります。聖書は「真理はあなたがたを自由にする」と言っています。逆に言えば「真理からはずれるなら束縛される」と言う事です。</p>
<p style="text-align: left;">② 神との親密な関係がない</p>
<p style="text-align: left;">人間関係が希薄な人が、孤独でさまざまな心の苦しみを抱えるように、神とのいのちで結ばれた人格的関係がなければ、幸福を見いだすことはできません。神との親密さがなければ、当然、虚しく、自分で幸福を築き上げなければいけません。それで、人間的なものに頼って、幸福を探し続け、悪循環に陥るわけです。それも延命治療のようで、いつか、綻びが出てきます。</p>
<p style="text-align: left;">③ みことばに従う決意がない</p>
<p style="text-align: left;">みことばは好きで、学びも大好き。しかし、じっさいに自分の生活にみことばを適用するとなると、葛藤して、従うことをしない人です。たとえば「ささげなさい、赦しなさい、伝道しなさい」とみことばが語る時、古い肉に生きていた私たちには、これらの命令は心地よいものではない場合があります。できない理由探して、従おうとしません。福音とは自分ではなく、キリストにしていただくことです。そのためにはその人が従うと言う意思が大切です。トラックのような大きな乗り物の方向を変えるのに、ハンドルを動かさないといけません。自分ではできなかもしれませんが、キリストに委ねて「ささげます。赦します、伝道します」という行動のともなう意思が必要なのです。みことばの方向に向かう時、聖霊が働いて、それらをできるように助けてくださるのです。心から従う意思のない人の特徴は、儀式的な宗教が好きです。使徒信条、主の祈りは唱えるのが上手です。祈りも賛美もよくできます。しかし、みことばの実践になると「これは現代に合わない」「そのままだと厳しすぎる」「自分は弱いから無理」とか言います。また、旧約は嫌いとか、えり好みするのも問題です。聖書は熱いか冷たいか？味方か敵対か？のどちらかです。明確に従う決意が必要です。</p>
<p style="text-align: left;">また、聖書の権威を認めない人。これらも同じことです。子供のようになって単純にみことばを信じる者でなければなりません。現代はポストモダンと言われ、絶対的価値観はなく、それぞれの考え、意思を尊重するというものです。人間はそれぞれ自分の背景、教育、体験があります。それらを基に聖書を解釈していけば、いかようにも聖書は解釈できるようになります。私たちは聖書が教える原則、教理を土台とした真理に自分を合わせていくのです。みことばの権威に服することが人間の立場です。そうでないと自分に都合の悪いものは勝手に解釈して、真理を曲げることになります。</p>
<p style="text-align: left;">４．見えるようになるために</p>
<p style="text-align: left;">① 見えないのに見えると思っている</p>
<p style="text-align: left;">ユダヤ人は、ユダヤ人として生まれたら、救われるし、神の啓示を受けていると勘違いしていました。取税人とパリサイ人の祈りの中で、パリサイ人の祈りは、「罪深い取税人のようでないことを感謝します」と祈っています。表面的な行いで自分が神様から受け入れられると勘違いしています。まったく霊的な盲人です。</p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #ff0000;">「イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」ヨハネ９章４１節。</span></p>
<p style="text-align: left;">このような思い上がった人は、自分が霊的盲人であることに気づかないといけないのです。聖書を学んで、これで満足というのはないのです。神の知恵の深さは生涯かかっても十分ということはありません。</p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #ff0000; font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;">「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。」Ⅰコリント８章２節。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #ff0000; font-family: Helvetica; font-size: small;"> </span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #ff0000;">「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」詩篇１１９篇１３０節。</span></p>
<p style="text-align: left;">ここで「わきまえのない者」という意味は、聖書を読む時に、いつでも初心者のように、新鮮な心で教えられる態度の人です。説教を聞く時に、「この話、前も聞いたぞ」と思う人は、そのような人ではないですね。一つのことが生き方に変わるまで、何十回も聞かないと身につかないのです。</p>
<p style="text-align: left;">② 見えない自覚はあるのに見えるように求めない</p>
<p style="text-align: left;">霊的なものに関心を示さない人、生活がある程度、順調であれば、神を求めようとしない。試練に遭うと慌てて神を求める。どんな時も飢え乾いて神様を求めていないなら、得ることができません。バルテマイの必死の願いを学ばないといけません。</p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #ff0000;">「彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。」ルカ１８章４１節。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #ff0000; font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;">「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」黙示録３章１８節。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #0000ff;">動物は反芻するのがきよい動物です。反芻はみことばを心に宿し、思い巡らす人のことです。「この意味は何なのか？主は何を伝えたいのか？」そのような態度をいつも持っている人は、すぐにはわからなくても、１０年後、２０年後のある日、開かれる瞬間があります。その時の感動は体験した者でなければわかりません。そのような霊的なものに貪欲な人こそ、見えるようになるのです。</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/2061.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/2061.html" />
	</item>
		<item>
		<title>聖書人物伝：新約10　ピリポ・トマス（１２弟子）</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/634.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/634.html#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 03 Jan 2012 23:43:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[ネットでバイブル]]></category>
		<category><![CDATA[聖書人物伝]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=634</guid>
		<description><![CDATA[聖書人物伝：新約⑩１２弟子のトマス・ピリポ １２弟子の中で、イエス様が一番育てるのに苦労した人誰かと質問されれば、私はきっと、トマスとピリポではないかと考えています。この二人を信仰によって歩むように育てるというのは、並大 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">聖書人物伝：新約</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">⑩</span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">１２</span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">弟子のトマス・ピリポ<span lang="EN-US"><!--?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /--></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">１２弟子の中で、イエス様が一番育てるのに苦労した人誰かと質問されれば、私はきっと、トマスとピリポではないかと考えています<span style="color: black;">。この二人を信仰によって歩むように育てるというのは、並大抵のことではないのがわかります。しかし、また、この二人も信仰の人になったと言う事実は、なかなか信仰が成長しない者でも変えられるという希望を与えます。そんなトマスとピリポの二人の人物を学んでみたいと思います。</span></span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;">
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"><span style="color: black;"><span id="more-634"></span><br />
</span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">１．トマス・ピリポの特徴<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">①</span><span style="color: black; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span><span style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">生い立ち</span><span lang="EN-US" style="color: black; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">（１）ピリポ<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">ピリポはペテロたちと同じガリラヤのベツサイダ出身です。きっと、ペテロたちを昔から知る友人であったと思います。ベツサイダは漁業の町ですから、彼も漁師だった可能性が高いです。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">「</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">ピリポは、<span style="mso-bidi-font-weight: bold;">ベツサイダ</span>の人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。<br />
」ヨハネ１：４４．<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;;"> </span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">また、ピリポ以外の弟子たちがみな、ユダヤ的な名前であるのに対して、ピリポだけはギリシャ文化にある名前です。このことから、ピリポの父親は進歩的な人か、国際感覚のあるエリートであると言えます。じっさいにあるギリシア人がイエス様に近づいた時、世話をしたのがピリポでした（ヨハネ１２：２０～）。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">（２）トマス<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">トマスについては、４つの福音書のうち、ヨハネだけにしか出てきません。ヨハネの仲が良かったのかもしれません。ヨハネは「デドモと呼ばれるトマス（ヨハネ２０：２４）」と紹介しています。「デドモ」とは「双子」という意味で、トマスは双子であったという説がありますが、確証はありません。</span><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">②</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">献身</span><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="color: black; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span><span style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">トマスの招きはありませんが、ピリポへの招きは聖書に書いてあります。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-align: left; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-align: left; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">「</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial;">イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、<span style="font-weight: normal;">ピリポを見つけて</span></span><span style="color: red; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">『</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial;">わたしに従って来なさい。</span><span style="color: red; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">』</span><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-align: left; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: Arial; mso-hansi-font-family: Arial;">と言われた。</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">」ヨハネ１：４３．</span><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-align: left; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">③</span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">性格<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-align: left; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; tab-stops: 135.35pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">（１）分析家（ピリポ）<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; tab-stops: 135.35pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; tab-stops: 135.35pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;;"> </span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">トマスもそうですが、とくにピリポは物事についてよく考える人です。イエス様に招かれてすぐ、彼はナタナエルに伝道しました。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; tab-stops: 135.35pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">「</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、<span style="mso-bidi-font-weight: bold;">モーセが律法</span>の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」<br />
ヨハネ１：４５．<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; tab-stops: 135.35pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; tab-stops: 135.35pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: Century; mso-ascii-font-family: Century;"><span style="font-size: small;"> </span></span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">この言葉の内容から、彼はイエス様について、十分調べ、納得してから従っていることがわかります。疑うナタナエルに<span style="color: red;">「来て、そして、見なさい」</span>と自分で会って、検証するように勧めています。当時はローマ帝国の支配ですが、文化、知性においてはギリシャが秀でていました。ピリポも父の影響で、勉強家であったのでしょう。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; tab-stops: 135.35pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">しかし、その知識が信仰を妨げることもあります。ある時、群衆が空腹なのを見て、</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">「<span style="mso-bidi-font-weight: bold;">どこからパン</span>を買って来て、この人々に食べさせようか。」</span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;"> とイエス様はピリポに相談しました。ピリポの信仰を試す訓練の時と言えます。すると、ピリポは、「ピリポはイエスに答えた。<span style="color: red;">「<span style="mso-bidi-font-weight: bold;">めいめい</span>が少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」<br />
</span>まったくをもって、現実的で、正確に計算された答えをしました。彼にはイエス様を計算に入れることがありませんでした。聖書をよく学んで考えることは大切ですが、ある時は、考えを超えて、単純に「アーメン」と信じることも大切です。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">（２）否定的（トマス）<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">指導者たちとイエス様の関係が悪化して、指導者たちに殺害の計画さえ耳にした時、イエス様はもっとも危険なエルサレムに行こうと言いだしました</span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">。弟子たちはみな口々に反対しました。しかし、トマスはそんな中、以外な言葉を発します。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">「</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">そこで、デドモと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。「私たちも行って、主といっしょに<span style="mso-bidi-font-weight: bold;">死のう</span>ではないか。」 ヨハネ１１：１６．<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;"> </span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">これは何と頼もしい、信仰の言葉でしょうか。と言いたいところですが、原文を見るとニュアンスが違います。これは投げやりで、批判的、否定的な態度です。「どんなに俺たちが言ったって、聞きはしないのさ。どうせ、俺たちはいつか死ぬんだ。行くしかないだろう。」このような、イエス様に間接的な批判を加えたような言葉なのです。「こんなことやっても、人は救われないよ。」とか、恨みがましく、不平をつぶやく、粘液質の人です。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">「</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">彼ら（ヨハネとマルコ）は言った。『あなたの栄光の座で、ひとりを先生の<span style="mso-bidi-font-weight: bold;">右</span>に、ひとりを<span style="mso-bidi-font-weight: bold;">左</span>にすわらせてください。』」マルコ１０：３７<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">それを聞いた弟子たちは激怒したようです。彼らの野心は弟子たちの関係も悪くしました。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">（３）霊的なものに疎い（二人）<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">イエス様がある時、御国の話をしました<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">「</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。・・・わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">」 ヨハネ１４：１－４．<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">すると、トマスが答えます。<span style="color: red;">「</span></span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">トマスはイエスに言った。『主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。』」</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">５節</span><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">トマスにとって、自分が確認でき、納得する世界しか認めることができません。だから、霊的な話しをして、自分がわからないと、すぐ反論が始まります。そして、その後、同じ気質をもったピリポとイエス様との会話が続きます。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">「・・・</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」７節。</span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">父なる神とイエス様が一つである神秘を語った時に、ピリポは<span style="color: red;">「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」８節。<span lang="EN-US"></span></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">それを聞いたイエス様はあきれたように、ご自分と父なる神が一つだということを伝えます。ラジオを聴きたい場合、自分で周波数を聴きたい局に合わせなければ聴くことはできません。トマスとピリポはその逆で、自分たちに合わせるようにイエス様を仕向けています。みことばを理解できない時、黙想して、イエス様に合わせよとすることはしないで、自分の思考の中に、真理を納めようとします。こういう人が霊的に成長するには、大きな壁を壊す必要があります。</span><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">（４）疑い深い（二人）<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">トマスだけが不在の時に、復活のイエス様が現れました。イエス様に会えなかったトマスは<span style="color: red;">「</span></span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">しかし、<span style="mso-bidi-font-weight: bold;">トマス</span>は彼らに</span><span style="color: red; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">『</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。</span><span style="color: red; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">』</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">と言った。」</span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">と、頑なになってしまいました。<span lang="EN-US"> </span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">さらにマタイの福音書では、もっと頑なな話が書かれています。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">「</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">しかし、<span lang="EN-US">11人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、<span style="text-decoration: underline;">ある者は疑った</span>。</span></span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt;">」 マタイ２８：１６－１７．<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">トマスは見ることができなかったので、疑ったが、ある者と言われた弟子はイエス様を目の前にして、疑っています。この弟子が誰かはわかりませんが、もしかしたらピリポかもしれません。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">２．服従する信仰へ<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> トマスは一人復活の主に会えなかったことで、頑なに復活を信じませんでした。しかし、そのようなトマスに主は現れてくださって、彼の希望通りにしてくれました。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">「</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-ascii-font-family: Arial;">それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」</span><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: Arial; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;Times New Roman&quot;; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-fareast-font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 384pt; mso-char-indent-count: 32.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-ascii-font-family: Arial;">ヨハネ２０：２７．</span><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: Arial; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;Times New Roman&quot;; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-fareast-font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: Arial; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;Times New Roman&quot;; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-fareast-font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-ascii-font-family: Arial;"> </span><span style="color: black; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-ascii-font-family: Arial;">自分の不信仰に心を痛めたトマスは、その場ですぐに悔い改めて、信仰告白をしています。</span><span lang="EN-US" style="color: black; font-family: Arial; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;Times New Roman&quot;; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-fareast-font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;;"></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: Arial; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;Times New Roman&quot;; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-fareast-font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-size: 11.0pt; mso-ascii-font-family: Arial;">「トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」</span><span style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">」<span lang="EN-US">28節。</span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="color: red; font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">３．晩年<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> トマスは外典の「トマス福音書」があります。彼はインドに渡り、そこで教会を開拓し、殉教しました。彼は両手両足を切り取られる壮絶な死を遂げました。彼はインドでは「ダマ」と呼ばれて、尊敬されています。日本で有名な「達磨」は殉教者トマスが達磨大師の原型とされて、仏教の中で広がったとされています。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="a1" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-hansi-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">黙想と適用：<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">１．あらゆる問題に直面しても、現実的な計算で絶望せずに、イエス様を加えて、考えてみよう。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">２．みことばを学ぶ時は、自分にみことばを合わせようとすることはやめよう。「主を教えてください。悟りを与えてください」とへりくだる心で求めよう。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt 24pt; text-indent: -24pt; mso-char-indent-count: -2.0; mso-char-indent-size: 12.0pt;"><span style="font-family: &quot;EPSON 丸ゴシック体Ｍ&quot;; font-size: 12pt;">３．疑う者にならないで、見ないで信じる者になろう。見ないで信じる者は神の栄光を見ることになります。<span lang="EN-US"></span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック; font-size: small;"> </span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/634.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/634.html" />
	</item>
		<item>
		<title>第２回：正しい基礎に生きる</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/536.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/536.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 05 Aug 2011 00:15:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[霊的スランプに学ぶ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=536</guid>
		<description><![CDATA[Ｊ師は霊的スランプを克服する必要がある主に２つの理由について語っています。１つ目は本人のためにと言うことです。霊的スランプに陥って、落ち込むクリスチャンとして生きていると、それは本人にとってとても辛いことです。聖書には勝 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>Ｊ師は霊的スランプを克服する必要がある主に２つの理由について語っています。１つ目は本人のためにと言うことです。霊的スランプに陥って、落ち込むクリスチャンとして生きていると、それは本人にとってとても辛いことです。聖書には勝利者としてのクリスチャンが描かれており、主イエスの御名で悪魔を制し、この世を救う使命があります。それなのに、敗北者かのようにうなだれている。これほど矛盾した状態はありません。政治家、医者などの地位にある人は普通の人より、より高い基準でその振る舞いを見られています。それは宿命です。クリスチャンも世の人から当然、素晴らしい生き方をする人たちだろうと見られています。それなのに敗北感いっぱいの自分は耐えられるものではありません。２つ目に、世の人々のためにと言うことです。初代教会ではクリスチャンは証人という生き様がありました。それは自分の生き方を通して、キリストを証しすると言うことです。これは日本人がイメージする品行方正の清く、正しいクリスチャン像は聖書的ではありません。聖書的なクリスチャンとは、逆境にあって、倒れそうで倒れない、どんな境遇でも喜びと感謝を失わない。自分は弱くても、イエス様によって強くされているという確信のもとに生きると言う生き方です。見た目は普通で、むしろ弱そうに見えるのです。しかし、世の人とは土台が違うのです。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」Ⅱコリント6章９，１０．</span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"> </span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"> </span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"><span id="more-536"></span></span></p>
<p>１．正しい基礎の上に信仰を立てる</p>
<p>① 信仰義認</p>
<p> 　私たちがどんな状況でも力強く歩める理由は、その基礎にあると言えます。その基礎に信仰を築いているからこそ、揺るぎない心で歩むことができるわけです。それではここから霊的スランプを脱出するために、正しい基礎を確認していきましょう。はじめのボタンをかけ違うとすべてが間違ってしまいます。聖書が教える初歩の初歩である教えを正しく認識しないと、この霊的スランプからは抜け出すことはできません。正しい基礎とは「信仰義認」です。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。」ローマ３章２８節。</span></p>
<p> 　このことを話すと、当たり前すぎてバカバカしいと思うかもしれませんが、信仰義認を本当に理解して、体験している人はそう多くはいません。アメリカでは「私はクリスチャンです」と自己紹介しても、次の質問に「新生しているクリスチャンですか？」となります。キリストによって罪赦され、義とされることを本当の意味で受け取っているクリスチャンは一部なのです。１８世紀のジョン・ウェスレーもクリスチャンホームで育ち、神学校を出て、牧師になりましたが、信仰義認がわかったのは、３７歳の時です（ウェスレーが救われたのはその時か、以前からなのかは議論されています）。教職者でさえも信仰義認がよくわかっていなかったのです。</p>
<p>② 信仰義認を破壊するもの </p>
<p>　パウロの信仰の闘争は、この信仰義認を守ることに終始していました。ユダヤ人は律法を守ることで神との関係を築こうとしていました。自分の行為に焦点があっていて、自分の行いこそが、自分の人生を左右すると考えています。この律法主義をパウロは徹底的に攻撃しています。律法主義者は本物のユダヤ人ではないとまで言っています。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」ローマ２章２９節。</span></p>
<p> 　マタイ１８章で１万タラントの借金をした、しもべの話があります。ある人が日本円で計算したところによりますと、１万タラントとは６千億円に相当すると言っています。どこかの県の年間予算に匹敵します。そんな巨額なお金を王様に借金したのです。王様が催促すると、驚いたことにこのしもべは、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』・・借金を返すと弁明しています。６千億円を返せると思っているのでしょうか？律法主義者の特徴は自分をかいかぶっているということです。信仰義認を受け入れた人なら、その生活、生き方が信仰義認に根ざしていなければなりません。信仰によって救われたと言いながら、その生き方が自分の行いで義を立てようとするなら、それは基礎を忘れた生き方です。なぜ、そのような生き方をするかと言うと原因は２つほどあるようです。１つは、１万タラントを借金したしもべのように、自分の借金（罪）がどれだけ大きいか理解できていないと言うこと。６千億借金があるのに、立派な行いをして千円、神に返済したからと言って満足する人は滑稽です。自分の力で生きようとする人は、自分が返済不能の人間だと言うことを知らないのです。「自分には欠点もあるけど、良い所もあるはずだ」と勘違いするから、何か自分の力で何とかなると錯覚が起こります。霊的スランプを脱したいと思う時に、それが御霊の力によって成されるものだと知らない人は、「自分にはできない」となって、落ち込みます。２つは、新生された命よりも、古い自分に執着する場合です。自分の力で何かを実現したい。何か特別な存在でありたいと、自己実現をめざす人です。古い人は死んで、新しいいのちに生きるように勧めているのに、何かを成し遂げたくて仕方ないのです。この世の価値観ではそのような自己実現を持ち上げます。騙されないように気をつけましょう。</p>
<p>２．深い罪の自覚</p>
<p> ① 神との関係で自分を量る</p>
<p> 　信仰の義認を享受するための第一のステップは「深い罪の自覚」です。前章で１万タラントの借金のしもべの話をしましたが、このしもべは自分が返済不能の借金を王様から赦してもらったのに、友人に貸したわずかなお金を赦免できず、首を絞めて牢屋に入れました。この話を聞いたら、なんてひどい男だと思います。しかし、私たちも似たような感覚をもっていることがあります。私たちは人間関係の中の比較で自分を見てしまいます。他の人と比べて負い立ちが不幸だとか、虐待された、愛されなかった、だから自分は不幸だと感じます。つまり、被害者の感覚です。人間関係で見たらそう言えるかもしれません。しかし、聖書は神と自分の関係を教えます。神の似姿に創造された人間は罪を犯して、神のイメージを破壊してしまいました。私たちは自分を傷つけた誰かに対しての落し前をずっと問題にします。しかし、１万タラントの借金をした神様にはそれほど傷つけた、ひどいことをしたと自覚はありません。むしろ、自分の人生について文句や怒りさえ抱いています。これこそ罪の自覚のない人の特徴です。人間関係の被害の部分は、神様との関係で赦すことが可能です。いずれにしても被害者意識を捨てない限り、信仰義認の最初のステップをクリアすることはできません。Ｊ師は「まず初めに倒れることがないかぎり、再び立ち上がることはあり得ない」と言いました。これは逆説になりますが、本当の喜び、揺るぎない信仰に至るには、まず、絶望、落ち込みが必要だと言うことです。人と比べたり、環境がうまくいかないで落ち込むのとは違い、神の御前で自分が罪人だという自覚で嘆くと言うことです。</p>
<p> <span style="color: #ff0000;">「また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。」ルカ２章３４節。</span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"> </span></p>
<p><span style="color: #ff0000;">　<span style="color: #000000;">救世軍の創始者ウィリアム・ブースは、奥さんの証言することによると、毎晩、部屋で祈る習慣があったそうです。そして、そのたびに泣き声が聞こえて来て、罪の赦しを乞う祈りをささげていたそうです。救世軍とはメソジスト派から出たグループ</span></span>で、きよめ派と言われる人たちです。どの集団よりもきよめを強調して、きよめを人生の目標とするのです。ブースも当然、とても敬虔な生き方をしていました。そのきよい生き方をしているはずのブースが毎日、泣き崩れるほどの悔い改めをしていたのです。ブースには深い罪の自覚があったのです。自分は殺人者ではないかもしれない、政治家や偉い人たちのように裏で悪いことをしているわけでもない、それでも自分は彼らと変わらない、同じ心の闇を持つ、神の御前でひどい罪人だという自覚が必要なのです。</p>
<p> 　深い罪の自覚をもたらすには、１つは神様の与える環境に身を置くことです。神様はいたずらに私たちを今の環境に置いているのではありません。この環境を通して、自分の心を探らせ、罪の自覚を与えて、自分では人を愛せないことを悟らせ、神に頼るように導かれるのです。自分が嫌だと感じる人、問題がある人、そのような人こそ、自分の罪を悟らせるために神様が与えた人です。それなのに私たちはそういう神様が与えた人を、避けようとします。会社も教会も出て行く理由は教理とかの問題よりも人間関係にあるようです。人と葛藤が生まれた時、自分の心の闇が表面化します。それが嫌でみんな問題を避けるのです。外に問題があると思うのです。ですから、いつまでも自分の罪が表面化しません。神様が与えた環境で学ぶ態度を持ちましょう。</p>
<p>　２つ目は、みことばによる罪の自覚です。イザヤがみことばに触れて、自分の罪に震え上がったような、みことば体験が必要です。聖霊により頼みながらの真剣なディボーションが必要です。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」 ルカ７章４７節。</span></p>
<p> 　深い罪の自覚とその赦しを体験した者が、愛を知り、愛に生きることができます。</p>
<p> ② 一番問題にすべき罪</p>
<p> 　Ｊ師は私たちが犯す罪の中で、人間関係や犯罪の部類を中心に考えていることを指摘している。本当の罪の本質は神との関係で犯す罪だと言います。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」マルコ１２章３０節．</span></p>
<p> 　私たちが自分を吟味する最重要なことは「私は全身全霊をもって主を愛しているだろうか？」もし、そうでないなら、それこそ罪人であると言っています。ウェストミンスターの信仰教理問答の最初に書いてあるように、「人間の究極的目的は、神の栄光をたたえ、永遠に神を楽しむことである。」人間は神と一つになり、神の栄光のために生きることが造られた目的です。そこに本当の意味で幸せになる道があります。しかし、現実の私たちはどうでしょうか？実際には自分の栄光のために、自分の幸せを追求していることはないでしょうか。それが罪の本質だと言うことです。そのことに心を痛めたり、罪の呵責はあまりない気がします。私たちはイエス様を信じて、永遠のいのちの中に入っています。天国に入ればもらえるのではなく、すでにいのちの中に入っているのです（Ⅱコリント５：１７）。そして、その永遠のいのちは神を追求していく中にあるのです。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。 」ヨハネ１７章３節。</span></p>
<p> ホセア書で何度も不貞を働かす女がイスラエルで、それを赦し、心を傷つけられているのは神様だと表現しています。これだけの片思いはどこにもありません。私たちを傷つける者はご自身の「瞳に触れる者（ゼカリヤ２：８）」と表現しています。格闘技好きの私にはこの意味がよくわかります。瞳は一番大切で攻撃してはいけない反則の部分です。私たちを瞳のように守ると言っているのです。何よりも十字架でご自身の大きな愛を示したお方です。このような熱愛で私たちを見守る神様に私たちはどれだけの思いを寄せているでしょうか。私たちは誰かが自分を無視しているのではないかとか、連絡をくれないとかで悩みますね。これを神様の視点で考えると、それだけ神様を無視し、その愛に応えていないかを知ります。私たちも親になれば、子供の無神経さに苦しめられます。そんな時、自分の子供の頃がどれだけわがままで、親を苦しめていたのか、親の心、子知らずであったかを知ります。「神を心から愛さない」これこそ罪だと言うわけです。</p>
<p>３．偉大な救いを知る</p>
<p> 　自分が１万タラント（６千億）の借金を抱えて、どうしようもなかった時に、それを赦免してもらうなら、その赦しをどれだけ感謝しても尽きることはありません。本来、私たちは地獄に行く存在でした。地獄とは永遠に続く苦しみの場所です。私たちは地上の苦しみで疲れ果てていますが、地上では夜眠ることもでき、趣味や楽しみもあります。しかし、地獄は一瞬たりとも休まることのない絶望的な場所です。よみに下った金持ち（ルカ１６章）は自分の舌を冷やすことも許されません。わずかな慰め、憐れみもない場所なのです。Ｖ・フランクル博士は人間はどんな苦しみの中でも希望があるなら、生きることができると言いました。しかし、地獄は永遠の滅びですから、希望のかけらもありません。そこに当然のように真っ逆さまに落とされると運命づけられていた存在である私たちが、なぜか恵み、憐れみで救われると言うのです。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」ローマ６章２３節。</span></p>
<p> 　ある人たちはイエス様のことを、自分の人生の模範とする道徳の教師のように、またある人は、自分を祝福してくださる、ご利益の神かのように考えます。ですから、他の宗教と変わらない薄っぺらな信仰にとどまるのです。深い罪の自覚があって、その絶望の中で、キリストを仰ぐ時に青銅の蛇を仰いだ荒野のイスラエル人が救われたように、私たちの救いがそこにあります。どんなにかその救いが偉大で、感謝なことなのかを知ります。この偉大な救いを知った人には以下の態度が現れます。</p>
<p> ① 自分に執着しなくなる</p>
<p> 　自分は罪深くて、どうしようもない存在だと深い罪の自覚によって悟っていますから、自分を見なくなります。キリストの成された御業に注目が行きます。証しをする時は、自分の至らなさはほどほどに神がどれだけ素晴らしいのか、その神をほめたたえずにはいられなくなります。</p>
<p> <span style="color: #ff0000;">「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」ヘブル１２章２節</span>。</p>
<p> ② 自分に頼らなくなる</p>
<p> 　自分が絶望的な存在だと自覚しているので、自分に頼ることはなくなります。対照的に、キリストの偉大さがよくわかるので、そのお方に完全に依存し、より頼む人生になります。自分でやるという意識がなく、キリストが私を通して行うと考えているので、かえって大胆になり、どんな不可能に思えることにでも挑むようになります。</p>
<p> ③ 比較で生きなくなる</p>
<p> 　今まで比較対象で生きていたので、人を見ては羨み、嫉妬していましたが、何もできない絶望的な自分を救う神が自分を愛していると知っているので、比較対象から自由にされて、羨んだり、嫉妬したりがなくなります。人の言葉にも傷つかないようになります。そして、自分が１万タラントを赦された罪人ですから、人に対して、寛容にならざるをえません。</p>
<p> ④ 感謝と喜びがあふれる</p>
<p> 　地獄が運命であった自分が、神様の憐れみ、恵みで救われたので、自分の人生は拾われた人生、おまけの人生のように思えます。環境に関係なく、自然と感謝と喜びがあふれて来ます。御子さえ惜しまず与えるお方がともにいるので、どんな災いのような環境になっても、きっと良くしてくださると信頼に包まれています。</p>
<p> ⑤ 依存症・偶像から解放される</p>
<p> 　キリストの愛と赦しを知ったら、今まで大切にしていた物、人に執着したのが馬鹿らしくなります。もちろん私たちには仕事、家族、財産などは大切なものですが、キリストに比べれば色あせてしまうのです。キリストには変えられませんと、心からそう思うのです。</p>
<p> <span style="color: #0000ff;">　イギリス生まれのジョン・ニュートンは産業革命のただ中で、ひと儲けしようと貿易を始めました。アフリカから黒人を捕らえて、アメリカへ奴隷を売る商人として繁盛していました。彼は信仰深い両親に育てられましたが、やがて無神論者になり、哲学で自分を支えるような人になりました。そんな彼もある時、イギリスに帰る途中に彼が所有する船グレイハウンド号が大嵐に見舞われました。破損した船体に海水がどんどん入り込んできて、絶望的な状態でした。自分の体をロープに縛り付け、９時間にも及ぶ恐怖の時間の中、彼は自分の人生を振り返りました。罪人の限りを尽くした自分、それにもかかわらず、神を認めず、背いた人生。それらを悔い改めて、神に赦しを乞い、救いを求めたのです。そして、奇蹟的に彼は助かったのです、その時、彼の心に神の憐れみと救いが迫ってきました。彼はその体験を期に、クリスチャンになり、牧師として働きます。そんな中で書いた詞があの有名な「おどろくばかりの」です。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"> </span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">Amazing Grace! How sweet the sound<br />
大きな恵み、なんという甘美な響き</p>
<p>That saved a wretch like me!<br />
私のようなろくでなしを救って頂ける大きな恵み</p>
<p>I once was lost, but now am found;Was blind,<br />
かつて、私は自分を見失ってた　でも今、わたしは、</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">私が何も見えなかったということに　気がついた</p>
<p>but now I see.<br />
しかし、私はいま見える</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"> </span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">　ニュートンは自分の死を直前にして、このような言葉を発しています。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"> </span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">「薄れかける私の記憶の中で、二つだけ確かに覚えているものがある。一つは、私がおろかな罪人であること。もう一つは、キリストが偉大な救い主であること。」ジョン・ニュートン</span></p>
<p>黙想：</p>
<p>１．あなたはまったくの恵みによって救われたという確信がありますか。今でも、良い行いで自分が正しいとされたい誘惑があるでしょうか。</p>
<p>２．あなたは自分がまったくの罪人で、１万タラントの借金をしたしもべと同じ立場だと自覚していますか。「あの人よりはまし」とか思うことはないですか。</p>
<p>３．自分の無力さを思い知らされた体験がありますか？それは神様がどう扱ってくださったか、分かち合ってみましょう。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/536.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/bssulanp/536.html" />
	</item>
		<item>
		<title>ペラギウスというゾンビ</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/471.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/471.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 10 Jun 2011 07:33:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[ネットでバイブル]]></category>
		<category><![CDATA[教会史]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=471</guid>
		<description><![CDATA[プロスタントに属する、私たちの信仰のルーツは１６世紀の宗教改革と言えますが、その時に活躍したルター、カルバンは当時の教会が失われた信仰義認、恵みによる救いを教え、聖書の真理に焦点をふたたび当てました。その宗教改革者たちが [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/06/e3562af7b0ef45b78636adccb2af46d31.jpg"><img src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/06/e3562af7b0ef45b78636adccb2af46d31-150x150.jpg" title="SONY DSC" width="150" height="150" class="alignright size-thumbnail wp-image-473" /></a></p>
<p>プロスタントに属する、私たちの信仰のルーツは１６世紀の宗教改革と言えますが、その時に活躍したルター、カルバンは当時の教会が失われた信仰義認、恵みによる救いを教え、聖書の真理に焦点をふたたび当てました。その宗教改革者たちが、このような信仰の復興を成し得たのは、古代教父の記した古典に帰ったために起こったことでもあります。そして、最も影響を受けた教父がアウグスティヌスです。宗教改革者が訴えた聖書の真理は、実はアウグスティヌスが教えたことの焼き直しであることがわかります。アウグスティヌスを知ることは、私たちの信仰のルーツを知ることだと言えます。そして、アウグスティヌスが単に知的な神学者として真理を知りえたのではなく、彼の歩んだ人生を通して、神様より受けた啓示であることがわかります。今回は最大の教父であり、「恩寵博士」と呼ばれるアウグスティヌスを分かち合いたいと思います。</p>
<p><span id="more-471"></span></p>
<p>１．アウグスティヌスの生い立ち</p>
<p> 　紀元３５４年に北アフリカで生まれます。哲学、弁論術を学ぶ頭の良い少年でした。父パトリキウスは異教徒（死ぬ直前に洗礼を受ける）で、母モニカは熱心（猛烈）なクリスチャンです。アウグスティヌスは母に連れられて、小さい頃から教会に出入りしていましたが、少年の頃、彼の疑問は、「愛の神がいるのに、なぜ、この世界には悪がはびこるのか？」ということでした。教会に不信を持ち始めた彼は、１９歳の頃、マニ教に入信します。マニ教はグノーシス主義に基づいて、聖書、ゾロアスター教などの教えを混ぜた混同宗教です。アウグスティヌスはマニ教徒として、クリスチャンに逆伝道していました。その間に、彼はある女性と同棲生活をして、息子アデオダトゥスも生まれました。学者の中では、この同棲を堕落と捉える人もいますが、この女性の身分が低かったために、結婚できなかったわけで、アウグスティヌスはこの女性を深く愛していたようで、事実婚だとも言えます。その証拠にその後、１５年間、彼女と一緒に生活をしています。マニ教に熱を入れたり、身分の低い女性を好きになったり、アウグスティヌスの行動には、母モニカに対する反抗心があるのではないかと推測します。母親の自分自身に対する愛情と干渉に対して、依存と反発のアンビバレンツ（相反）的な感情の表れが、母親を困らせる行動を取ってみせることに現れている気がします。</p>
<p>　学者として才能が認められたアウグスティヌスは、３８３年にローマ、そして、ミラノへと渡ります。その時に同棲していた女性と息子を呼び寄せています。なぜか母親モニカもストーカーのようについて来ています。モニカは信仰から離れた息子に心を痛めて、主に立ち返るようにいつも祈っていました。もともと、彼女の祈りの内容は、息子がローマに行かないようにすることでした。刺激と誘惑の多いローマに行っては、ますます信仰から離れると考えたからです。しかし、その願いはかなえられず、アウグスティヌスはローマに行きました（それが良かった）。しかし、神の計画は人の願いとは違って偉大なものです。ローマでアウグスティヌスはミラノの司教アンブロシウスと運命的な出会いをして、その指導の下で、回心を経験します。</p>
<p>　話が前後しますが、このミラノ滞在中に、アウグスティヌスは同棲していた女性と縁を切ります。才能豊かな彼は頭角を現して、学者として認められて行きます。しかし、当時の社会では身分の低い女性を帯同することは、出世には大きな足かせになりました。彼は愛する女性を取るか、出世を取るかで悩みます。周りの強い勧め（とくにモニカ）もあって、結局、女性と別れることを選びます。その女性は「私は生涯、結婚しません。」とアウグスティヌスに誓って、いさぎよく身を引きました。故郷に帰って修道院に入り、神様に残りの生涯をささげたと言われています。とても健気で、心の美しい女性だと言うのがわかります。アウグスティヌスのために純潔を誓ったその女性とは対照的に、一人になったアウグスティヌスは自分の性欲を抑えられず、また、別の女性と関係を持ってしまいます。出世のために愛する者を捨てる自分、性欲に身を任せる自分。この世界の悪が現実に自分の中にも存在することを知って、ますます絶望します。自分の罪深さを自覚したその頃に、アンブロシウスの説教を聞いて、回心します。アウグスティヌスの回心にはアンブロシウスの導きがありましたが、その背後に母モニカの祈りがありました。教会に来て、あまりにも熱心に泣きながら祈るモニカの姿を見たアンブロシウスは「涙の子は決して滅びることはない」と言ったと言われています。息子の人生に干渉するうるさいママゴンではありますが、一方では涙の祈りをささげ続けて、偉大な神学者を育てた母として、カトリックでは聖人となっています。</p>
<p>　アンブロシウスを含めた他の有名な教父は貴族生まれで恵まれた環境で教養を培いました。それに比べて、アウグスティヌスは、他の教父ほど身分は高いわけではなく、教養を身につけるために環境はそれほどよくはありませんでした。当時の知識人が当然のように身につけていたとされるギリシャ語もできなかったようで、神学者としての素地はよくありませんでした。それでも、彼が偉大な神学者に成りえたのは、研究以上に、自らの人生経験に追う所が大きいと言えます。</p>
<p> ２．アウグスティヌスの教え </p>
<p>① 三位一体</p>
<p>　ニカイア会議で三位一体の教理は共通の理解すべき教理だと確認できました。三位一体はテルトゥリアヌスなどによって、三位一体の教理についてまとめられて行きましたが、さらに、アウグスティヌスによって体系的な三位一体の教理が確立されて行きました。現代の神学で教える三位一体もアウグスティヌスの著作が基本になっています。</p>
<p>「ある日、アウグスティヌスが砂浜を散歩していると、一人の少年が砂浜を掘り起こしていた。『坊や、そこで何をしているんだ？』少年は、『穴ぼこを掘って、海の水を全部、その穴の中に入れるんだ』それを聞いたアウグスティヌスは『こんな小さな穴ぼこに、あの大きな海を入れることは無理だよ』少年はアウグスティヌスを見つめて言った。『三位一体のわけを人間の理屈でわかろうとすることに比べれば、大海の水を砂の穴に入れることのほうが、ずっとやさしいよ』そして、その子どもの姿は消えていった。」これは、アウグスティヌスが本当に体験したと証言している話です。</p>
<p> ② 善戦</p>
<p> 　戦争にも、やもえない善戦があると主張しました。</p>
<p>③ 幼児洗礼</p>
<p> 　幼児洗礼を受けることで、原罪（その時までに持っている罪）を洗い流すことができると教えました。それで、カトリックは幼児洗礼をします。また、改革派、長老派などもアウグスティヌスの影響で、幼児洗礼を授けます。これはユダヤ人に対する割礼と同じだと教えます。</p>
<p> ④ 煉獄</p>
<p> 　死後に自分の犯した罪で汚れた魂を浄化する天国と地獄の中間のような場所があると主張しました。それがカトリックの煉獄の教理に発展しました。 </p>
<p>⑤ 比喩的解釈 </p>
<p>　聖書（とくに旧約）の表現を字義通りに解釈しないで、比喩的解釈をする立場でした。これはオリゲネスという人も主張しました。遡ればギリシャ哲学の影響があります。彼は天地創造も７日と言うのは比喩であって、文字通り７日というのではない、と主張します。しかし、アダムとエバの創造と堕落はそのまま信じたり、ノアの時代の洪水も事実、あったと言います。ある部分は比喩的、ある部分は字義通りと主観の入った解釈だと言えます。 </p>
<p>３．ペラギウス論争</p>
<p> 　アウグスティヌスの晩年に生じた有名な出来事が、ペラギウス論争です。アウグスティヌスは死ぬ直前まで、この論争に明け暮れました。それは真理を死守すべき霊的な闘争でもありました。この論争で主張されたことが、後の宗教改革の精神に継承されたのです。では、まず、論争を展開した相手のペラギウスとはどんな人でしょうか。 </p>
<p>①    ペラギウスという人物</p>
<p> 　現在のイギリス出身で、その後、ローマに渡り、修道士として活躍していたとされています。しかし、その頃、蛮族の侵入によってローマ帝国は危機に瀕していました。難を逃れるために、ペラギウスはアウグスティヌス（すでにローマから帰郷していた）のいる北アフリカのカルタゴ（現チュニジア）に移りました。初めお互いに好意を寄せ合っていたようですが、ある時、アウグスティヌスの著作の「告白」が朗読されている時、「あなたの欲することを命じてください」という言葉が耳障りにペラギウスにはに聞こえました。それ以来、ペラギウスはアウグスティヌスを攻撃するようになります。</p>
<p> ②    二人の主張</p>
<p> （１）アウグスティヌスの主張</p>
<p> 　人間には生まれながらに、アダムから受け継いだ原罪を有している（産まれたての赤子も罪人）。自由意志を与えられてはいるが、その意思は罪へと向かう傾向を持ち、神の命令に逆らうことを選んでしまう。全的堕落を主張します。それゆえ、人間は全く新しく生まれ変わる必要があり、そのためには、神の側の行為が不可欠となる。その部分に関して、人間は受動的であり、絶対的恵みが必要である。そして、神は救う人を選んでいると主張しました。</p>
<p> （２）ペラギウスの主張</p>
<p> 　生まれた時の人間は真っ白な画用紙のようなもので無垢な存在である（原罪の否定）。神の人間に対する良き贈り物は、人間の本性と自由意志である。それによって、罪に抵抗して、神に従うことができる、自由意志を訓練することで、罪のない生活に入ることができる。じっさいそういう人たちが存在する。人間が罪を犯すのは原罪のせいではなく、悪いことを実践したからである。</p>
<p> ③    二人の神学になる背景</p>
<p> 　神学はその人の心が作るものだと言えます。その人の経験、神との歩みが神学を形作ります。私は、神学は心理学のようなものだと考えています。その神学を形成した二人の背景を比べて見ます。</p>
<p> （１）アウグスティヌスの背景</p>
<p> 　最初に説明したように、彼の人生は紆余曲折で、神に背を向ける放蕩生活を経験し、性欲にも打ち勝てない弱さを、身を持って知った人です。そのような罪の絶望から恵みによって救われたと言う確信がありました。それが彼の神学の土台です。女性に依存しなければ生きて生けない弱さがあり、重要な決断の時は人の意見を採用したり、どっちかと言うと受身で弱い性格の人です。そんな弱さを神によって強くされて、大神学者に成長した人だと言えます。</p>
<p> （２）ペラギウスの背景</p>
<p> 　修道士であったと言われていますから、神学者と言うより道徳家と言えます。彼は一言で言えば人格者です。育ちも良く、表面的に見れば、非の打ち所がない立派な人でした。説教も上手で、見た目も人を惹きつけるカリスマ性を持っていました。修道院で精神修養を重ねて、多くの徳を身につけており、尊敬できる人物であったようです。彼は自分の目から見れば、自分は日々、進歩しているように思えて、よりよい生活を営んでいると考えています。それは自己との戦い、努力、意思力がそのように至らせたと満足していました。彼には恥ずべき秘密がありませんでした。その満足が彼の神学を形成しました。彼は自己矛盾を経験することなく、その高い道徳性の奥に隠れた心の闇を覗くことはしませんでした。神のみことばで心を耕すことはしないで、自分の目に良いと思う善を行って、それが守れたらそれで満足しました。自分で自分の人生を作り上げ、人生は自分でコントロールできるもの、思い通りになるものと考えたのです。その自己満足ゆえ、アウグスティヌスが到達した神と人間の深みを知らなかったのです。彼の書いたパウロの手紙の注解を読めば、彼が表面的にしか聖書を読んでいないことがよくわかります。</p>
<p> ④    論争の結果</p>
<p> 　ペラギウスはその後、カルタゴを去りますが、彼には多くの支持者がいて、彼の弟子がその後も論争を繰り広げます。しかし、教会はペラギウスとその支持者たちを異端と宣言しました。しかし、それは原罪と神の恵みを否定することに対して異端としたわけで、人間の自由意志に対しての議論はずっと続きます。つまり、人間は自由意志で良いものを選ぶ能力があると言う考えです。そして、これは現代まで存続します。また神の恵みと人間の努力を両立させた半ペラギウス主義（アルミニウス派）も登場しました。それ自体は異端とされましたが、それに近い神学は存続しています。</p>
<p> ４．まとめ</p>
<p> 　歴史の中でペラギウス主義論争がありましたが、この論争は絶えずどこでも存在するものなのです。ユダヤ教主義クリスチャンから始まって、現代に至るまで、自分の行いによって神に近づこうとする、人間の本性があるかぎり、どこにでもこの教えがはびこります。「異端の歴史」を書いた、Ｄ・クリスティ・マーレーは、ペラギウス主義よりも、半ペラギウス主義の方が危険で、クリスチャンを惹きつけると言っています。クリスチャンは神の恵みは必要だとみんな感じています。自分は罪人だとも自覚しています。しかし、そのような理解がありながら、自分の力を頼りに、生きようと努力するのです。マーレー氏は「生涯変化することのないキリスト教徒」は、この半ペラギウス主義によって生き続けると言っています。「変えられ続ける人は、自分の意思は無力であり、罪と個人的な欠点の克服は神によって始められ、イエス・キリストを通じて外から与えられるのでなくては実現しないことを痛感するが、精神的小市民層にとっては、これは事実ではないからである。彼らは深刻な内面の葛藤を知らないし、悔い改めという危機の経験の後に訪れる溢れるような勝利の感情、あるいは罪の重荷と罪の引きずり込むような暴力的な力からの解放を知らない。彼らは自分の努力による進歩や進歩の遅れ、自己鍛錬とその不足はよく自覚する。このような信者にとっては、人間は自分自身の努力と神の助けによって善い生活を送れるようになると信じているのである。」</p>
<p>　自分の心からペラギウス主義を追い出しましょう。自分の心を深く探り、絶望とともに神の深い愛と救いを知る者こそ、恵みに生きる生涯に入ります。そこから始まる行いだけがきよいものとされるのです。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/471.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/471.html" />
	</item>
		<item>
		<title>聖書人物伝：新約9　マタイ（１２弟子）</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/419.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/419.html#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 09 Apr 2011 00:45:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[ネットでバイブル]]></category>
		<category><![CDATA[聖書人物伝]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=419</guid>
		<description><![CDATA[　福音書の時代は、イスラエルはローマに支配されていました。パレスチナ地方を支配して、税金を徴収する手段として、取税人をユダヤ人の中から雇い入れました。取税人の仕事はローマに納める税以外に、不当に取り立てることがまかり通っ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/04/81d28e9295f6f5fa1b0930c6a788116e.jpg"><img src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/04/81d28e9295f6f5fa1b0930c6a788116e-150x150.jpg" title="イスラエルＮＯ3 088" width="150" height="150" class="alignright size-thumbnail wp-image-420" /></a></p>
<p><span style="color: #0000ff;">　福音書の時代は、イスラエルはローマに支配されていました。パレスチナ地方を支配して、税金を徴収する手段として、取税人をユダヤ人の中から雇い入れました。取税人の仕事はローマに納める税以外に、不当に取り立てることがまかり通っていました。それはローマが意図して許容したものです。植民地とされた地には当然、ローマに対する反感があります。その怒りの矛先を向ける対象として、ローマは取税人を利用しました。ユダヤ人から見た取税人はローマに取り入って、同胞からお金を騙し取って私服を肥やす、許しがたい存在に写ります。そうやって、ローマに対する怒りを逸らす役割のために立てられた職業です。当時は「取税人と遊女」と罪人の形容詞のように呼ばれていました。取税人は会堂への出入りも禁止で、献金も汚れた金ということで、拒否されていました。ユダヤ社会で最も卑しく、嫌われていた職業です。そのように取税人とは憎しみの対象となりながらも、お金はたくさん入ってくる職業でした。お金と引き換えに、人との暖かい交流を犠牲にして生きていました。ですから、取税人とは、豪華な物に囲まれながらも虚しく、淋しい人であったことが想像できます。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"> </span></p>
<p><span id="more-419"></span></p>
<p>１．マタイの特徴</p>
<p>① 生い立ち </p>
<p>　カペナウムで税を取り立てていたことから、ガリラヤ出身である可能性が高いです。本名はレビと言います。この名前は宗教儀式いっさいを引き受けるレビ族出身であり、神に献身する人の名前であるはずなのに、皮肉にもどういうわけか取税人となっていました。</p>
<p> ② 献身</p>
<p> 　マタイが取税人という汚れの仕事をしている只中にイエス様は近づかれ、マタイを弟子として招きました。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって『わたしについて来なさい。』と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。」ﾏﾀｲ9:9</span></p>
<p> マタイには迷いはいっさいなく、すぐに招きに応答していることがわかります。その理由を考えると第一は、取税人という職業が人生の生きる意味を見いだせないということが言えます。権力者に取り入り、同胞から不当にお金を取る。結果、人に憎まれる。こんなことを繰り返せば、自己嫌悪になって苦しむことでしょう。マタイもこの職業に嫌気がさしていたと思います。第二に、お金が空虚さを増大させたことでしょう。日本は世界で有数の金持ちの国で、国民全体が裕福です。結果、糖尿病などの肉体的病に加え、欝と自殺率が高いということです。物に囲まれれば、それだけ虚しく、問題が大きくなるわけです。マタイもそのような空虚さをかかえていたと思われます。第三に、レビという名前にあるように、彼の先祖は神に仕えた人たちです。彼の中に神に仕えたい使命感は人一倍あったことでしょう。そんな自分がその対極にいる。その葛藤の中で、イエス様の招きは、彼の宗教心をめざめさせることになったと思います。第四に、この理由が一番大きいと信じますが、イエス様に惚れたと言うことです。これから伝道を始めていく時に、自分の弟子に取税人が混じっていることは、評判を気にする人だと絶対に避けたいことです。イエス様は人が拒絶するようなマタイを選びました。それは、イエス様が人の評価をまったく気にしない人であることがわかります。また、このような取税人を招くことを通して、福音にはどんな罪深い者にも開かれていることを暗示していることがわかります。また、弟子たちの中には熱心党員の人もいます。これは民族主義者、超右派です。ローマと戦うために命をかけるようなグループです。取税人と熱心党員が同じ弟子の仲間にいることをよく考えてみてください。当然、取税人は敵対関係であり、殺意さえ覚えることでしょう。マタイを仲間に入れることは、摩擦を生まないはずはありません。イエス様の愛はこのような敵意を乗り越えさせて、兄弟愛に変えていくことを意図していました。マタイはユダヤの宗教にはない、本物をイエス様から感じ取ったことでしょう。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。・・わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」マタイ９：１１－１３．</span></p>
<p> ③ 性格・特徴</p>
<p>（１）大ぶるまいした人</p>
<p>　マタイは献身してすぐにやったことは、自分の家に人々を呼んで、パーティーを開きました。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。」ルカ５：２９．</span></p>
<p>　ザアカイも、救われた喜びで自分の富をもって、人々に仕えたいと申し出ましたが、マタイも同様に、イエス様に愛されて、選ばれた喜びを分かち合うために、人々に大ぶるまいしました。 </p>
<p><span style="color: #ff0000;">「また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。」Ⅰテモテ６：１８．</span></p>
<p>私たちも福音の豊かさを大ぶるまいして表現するべきです。お金を使ったから減るのではありません。むしろ、人々を潤して、自分の心も豊かになって流れていきます。大ぶるまいする時は、特にお返しできない人にしたらいいと教えています。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」ルカ１４：１３－１４．</span></p>
<p> 食事は人の心を開きます。マタイがパーティーによって、イエス様に従う取税人が大ぜい救われたと書いています。（マルコ２：１５）</p>
<p> （２）罪人を愛する人</p>
<p> 　マタイがパーティーに招いたのは、取税人の仲間や罪人とレッテルを貼られた人たちでした。当然、マタイが一緒に働いていた仲間たちです。今までは嫌われ者同士、傷を舐めあって生きていましたが、マタイは生まれ変わり、彼らもイエス様を信じてほしいと思って、このようなパーティーを開いたのです。聞き屋で奉仕する者の多くは元暴走族、薬中、ホームレスなど、挫折を経験した者がほとんどです。アウトサイダー（はずれた人）の痛みをわかるからこそ、裁くことなく、憐れみの心で近づくことができるのです。</p>
<p> （３）ささげものに関心のある人</p>
<p> 　マタイ自身が書いたマタイの福音書には、他の福音書とは違って、ささげものに注目した内容が多いのがわかります。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」マタイ２：１１．</span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。」マタイ２６：７．</span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「夕方になって、アリマタヤの<span style="text-decoration: underline;">金持ちで</span>ヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。・・岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。 」マタイ２７：５７、６０．</span></p>
<p>  マタイは、お金を有効に使うことを、いつも念頭においていたと思われます。一番の有効な使い方は、当然、天に宝を積む方法です。マタイは、職業柄、計算は上手だろうし、有効な使い道をよく知っていたでしょう。そのように、彼の賜物が宣教にも用いられました。自分の取税人という職業をきよめていただいて、神のために用いました。</p>
<p> ２．著述者として</p>
<p> 　マタイはイエス様の生涯を福音書として残しました。イスカリオテのユダと同様に、教育水準が高く、才能豊かだといわれています。マタイの福音書には系図から始まり、ユダヤ人に配慮されており、ユダヤ人に向けた福音書だと言われています。彼にとって、同胞とは、自らお金をゆすり取り、苦しめた人たち。一方で憎まれ、自分を疎外した人たちです。そんな自分が憎み、憎まれた同胞を愛し、伝道しました。これにはイエス様の罪人を愛し、選ばれる恵みなくしては決してできない生き方です。彼はイエス様の招きがもし、なかったら、一生、取税所にふんぞり返って、眉間にしわを寄せて、不当なお金を取り立て、私服を肥やしていたことでしょう。そんな彼が、主の憐れみで、神の働きに参加させていただいたのです。</p>
<p>　彼は１２使徒の名前を列挙する時に、自分の名前にだけ「取税人マタイ」と書いています。自分がどれだけ罪深い世界から拾われて、弟子になったかを伝えずにはおられなかったのです。そんな彼の文章は、罪に絶望した人たちに、大きな希望を与えたことでしょう。</p>
<p>黙示録では新天新地に現れる１２の土台があります。それは１２弟子を意味します。そんな、名誉な評価を受ける者の一人に数えられたのです。</p>
<p> ３．晩年</p>
<p> 　マタイはユダヤ人を中心に宣教活動をしていました。そのために福音書も記しました。それから１４年経って後、ギリシャ、トルコで宣教し、さらにエチオピア、ペルシャ、マケドニア、シリアと広範囲で宣教地を広げて行きました。一説では、エチオピアから戻ろうとする途中のエジプトで殉教したと言われています。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/419.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/419.html" />
	</item>
		<item>
		<title>聖書人物伝：新約8　ヨハネ（１２弟子）</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/387.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/387.html#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Mar 2011 00:26:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[ネットでバイブル]]></category>
		<category><![CDATA[聖書人物伝]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=387</guid>
		<description><![CDATA[　イギリスのトレバー・ベイリスさんは、ある日エイズ予防キャンペーンをテレビで見ていると、アフリカでは極度の貧しさに、電池が買えなくて、ラジオを聴ける人がほとんどいないため、エイズに関して、正確な情報を知らずにいると言うこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #0000ff;">　イギリスのトレバー・ベイリスさんは、ある日エイズ予防キャンペーンをテレビで見ていると、アフリカでは極度の貧しさに、電池が買えなくて、ラジオを聴ける人がほとんどいないため、エイズに関して、正確な情報を知らずにいると言うことでした。エイズを食い止めるためには、情報が必要だとテレビで訴えていました。ベイリスさんは、何とかアフリカの人たちに役に立ちたち一心で、たいへんな苦労をして、電池のいらないゼンマイ式ラジオを開発しました。そのラジオが大ヒットして、年間１００万台も生産される大ヒットとなり、彼は莫大な財産を得ることになりました。しかし、ベイリスさんは、その収入をぜんぶ、アフリカの人たちのために使ってほしいと辞退しました。彼の人生は今まで、人のために何の役に立たないものだったと言っていました。そんな彼がゼンマイ式ラジオを発明して、アフリカの人たちの救済に役立ったことで、彼はそれだけで満足で、お金も名誉もいりませんでした。「君は愛されるため生まれた」という有名な曲があります。この曲にはアンサーソングが存在します。その内容は「君は愛されるため、そしてその愛伝えるため・・」愛を受けた者は、その愛されることにとどまらず、愛を与えていく。そして、愛の実を結んで行く。そのことを目的とした歌詞になっています。人間は人を愛することで、満足し、幸せになるように、神様は造られました。今回、学ぶ弟子のヨハネもそんなイエス様の愛によって人生を愛に生きる人として変えられた人でした。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"> </span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"><span id="more-387"></span></span></p>
<p>１．ヨハネの特徴</p>
<p> ① 生い立ち</p>
<p>　ヨハネはガリラヤ出身で、もともとバプテスマのヨハネの弟子でした（ヨハネ１：３７）。兄ヤコブと兄弟二人でイエス様の弟子になりました。父親はゼベダイという人でした。彼らはイエス様に出会った時、ペテロとアンデレ同様、ガリラヤ湖の漁師をしていたようですが、ペテロたちとは経済事情が大きく違いました。まず、ゼベダイ親子は船を所有していました（マルコ１：１９）。さらに雇い人もいます（マルコ１：１９）。ガリラヤ出身でありながら、大祭司の知り合いと言うことですから（ヨハネ１８：１６）、ゼベダイはガリラヤでは金持ちで有力者であることがわかります。もしかしたら漁師というのは家業ではなく、多く手がける事業の一つだったのかもしれません。ヨハネとヤコブは裕福な家庭で育ったお坊ちゃんであったわけです。</p>
<p>② 献身</p>
<p> 　ペテロとアンデレが漁をしているその場でイエス様にスカウトされました。その近くで同じように漁をしていたヨハネとヤコブはわずかな時間差はありましたが、ほとんど同時に献身へと招かれました。そして、すぐにすべてを捨ててイエス様に従いました。一見、ペテロたちと同じように何の躊躇なく従っていますが、ヨハネの献身には犠牲が大きいのがわかります。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。」マルコ１：２０．</span></p>
<p> 　ペテロたちは網を捨てたとだけありますが、ヨハネとヤコブは網だけではなく、舟も雇い人も、そして父も残したとあります。父を残したとは、その多くを所有する父からの相続も捨てたということでもあります。あまり財産を所有しないペテロと比べて、多くを所有するヨハネとヤコブの方が、犠牲が大きかったと言えるでしょう。</p>
<p> ③ 性格</p>
<p>（１）短気　</p>
<p>　イエス様がヨハネとヤコブの兄弟に「ボアネルゲ」とあだ名をつけました。意味は「カミナリ」です。二人は気性の激しい兄弟でした。ここで二人の性格について問題が２つほどあります。１つは、「短気」という性格は存在しないということです。神様が人を短気になるように造られることはないはずです。彼らは生育過程で性格が歪められ、短気になったのです。たまに「私は短気だから」と、あたかも自分の変えられない性格かのように言う人がいますが、そのように開き直られては、周りはいい迷惑です。もし、短気がその人の先天的な性格であれば、変えることは間違いですが、歪んだわけですから、本来の性格に直りますし、直すべきです。２つ目は、兄弟で短気だったということです。いくら環境が同じで兄弟であっても、別個の存在が同じように短気になるというのは、やはり生育に問題があると言えます。考えられるのは、二人の母親の価値観にあります。二人の母もイエス様の働きに賛同していました。息子たちがイエス様に従うことを喜んでいます。しかし、価値観が誤っていました。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」 マタイ２０：２１</span></p>
<p> 　彼女には信仰もあり、子供たちに対する深い愛情もありますが、上昇志向で、地位や名誉を強く求める人でした。その価値観で子供を育てたのでしょう。ヨハネはきっと、兄と比べられたり、存在自体を受容されるのではなく、能力とか成績で評価された可能性が高いです。そのような価値観で扱われた怒りが二人にはあると思われます。</p>
<p> （２）野心家</p>
<p>　ヨハネの母が出世を願い出たと言いましたが、彼ら自身も別の場所で、イエス様に自分たちの出世を願っています。彼ら自身が野心家でした。</p>
<p> <span style="color: #ff0000;">「彼ら（ヨハネとマルコ）は言った。『あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。』」マルコ１０：３７</span></p>
<p> 　それを聞いた弟子たちは激怒したようです。彼らの野心は弟子たちの関係も悪くしました。</p>
<p>（３）無神経</p>
<p>　二人には、裕福な育ちに見られる無神経な部分も持ち合わせています。短気と無神経さを併せ持った気難しい兄弟であったのです。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」 ルカ９：５４．</span></p>
<p> 　イエス様を受け入れないサマリヤ人に対して、激しい怒りを現わして、そのようなことを言い出しました。きっと、預言者エリヤをまねようとしているのでしょうが、イエス様は厳しく二人を戒めました。サマリヤ人がなぜ、簡単に受け入れないのか？彼らの気持ちとかを全く考えない様子です。ある人が祭りに出かけて、花火が上げられるのを楽しんでいたら、どこかから声が聞えて来て、それが路傍伝道の拡声器だとわかりました。「イエスを信じない者は滅びだ」とか過激なことを言っていたそうです。日常を忘れて、祭りの風情を楽しんでいる時に、何とも無神経な行動でしょうか。言っていることは当たっていますが、そのような伝達方法で、人が心を開くでしょうか？自らも同じ罪人であることを自覚し、謙遜な態度で伝道しなければ、人の心には届きません。</p>
<p>（４）心が狭い</p>
<p>ヨハネの特徴が垣間見える場面があります。弟子たちとは別の集団が、イエス様のまねごとをした時の態度です。 </p>
<p><span style="color: #ff0000;">「ヨハネが答えて言った。「先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。」ルカ９：４９．</span></p>
<p>　ヨハネは弟子としての自負心の強い人でした。ですから師弟関係の中で、仲間という意識が強いわけです。それは素晴らしい部分ですが、それが時には問題になりました。イエス様はたとえ、一緒に行動しない者でも、イエス様に共鳴して、それをまねようとしている者は味方として扱うように言われました。イエス様の寛容さ、心の広さがわかります。イエス様を信じていると告白しているならば、どんなに性格や立場の相違があっても、受け入れる広い心を持つ必要があります。心を広くするには、多くの人とかかわり、格闘することです。それによって、私たちの心の領域は広げられていきます。ヨハネは他者を受容する訓練ができていない人でした。</p>
<p>（５）観察力が鋭い</p>
<p> 　ヨハネはいつも、物事をよく観察し、見抜く力のある人です。イエス様がよみがえったと聞いて、墓を観察して、その結果、復活を信じました（ヨハネ２０：１０８）。また、復活したイエス様がガリラヤに現れた時、弟子たちはみなイエス様を見ました。復活のイエス様は姿が以前とは違うようで、みんな認識できないようでした。ヨハネだけにはわかりました。その観察力ゆえ、彼は黙示録という、普通の人では混乱するような、神の啓示を見て、文書にすることができました。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。」ヨハネ２１：７．</span> </p>
<p>（６）親密さを求める</p>
<p>　ヨハネはいつでも、イエス様の一番近くに自分の居場所を設けました（ヨハネ１３：２３）。彼は自分が愛する対象に親密に交わることを求めました。ヨハネは自分のことを「イエスが愛しておられた者」と呼び、深い愛の関係にあることをヨハネの福音書は強調されています。それはダビンチコードなどで聖書を貶めようとする者たちが、同性愛と揶揄するほどです。サマリヤ人に対して、天から火を下そうと言ったのも、「私の愛する主を拒絶するとは何事か」という、愛する者を拒絶する激しい怒りから出たものです。このように、ヨハネには他の人にはない、深い感受性を備えた人でした。</p>
<p>（７）面倒見がよい </p>
<p>　イエス様は十字架で息を引き取る前に、自分を育ててくれたマリヤのことを気にかけます。ヤコブら弟もいたのですが、なぜか、ヨハネにマリヤの面倒をみるように言われます。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。」ヨハネ１９：２７．</span></p>
<p> 　晩年もヨハネは長老として、多くの者の面倒をみていたようです。そのような人情にあふれ、人を憐れむ心を持った人でした。</p>
<p> ２．変えられた人ヨハネ</p>
<p> （１）愛を強調したヨハネ</p>
<p> 　聖書の記述をそのまま受け取らない自由主義神学の学者には、ヨハネの手紙の著者はヨハネではないと言う者もいます。その理由はヨハネの手紙があまりにも愛と配慮に満ちているため、ボアネルゲと呼ばれたヨハネとは似ても似つかぬ人物に写るからです。ヨハネの手紙においては、お互いに愛し合うことが何度も繰り返し勧められています。その愛はキリストから流れる愛であり、その愛を受けた者は人を愛するようになることが体験として語られているのです。私は確信します。短気でどうしようもないヨハネが、イエス様の愛に触れられて、愛の人になったことを。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」１ヨハネ３：１６．</span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"> </span></p>
<p>　Ｒ先生のセミナーで「愛されているはず、ふり、つもりでは絶対に通用しない」と教えます。心の深い部分で本当の意味でイエス様に触れていないなら、人生の重要な部分でぼろが出るのです。ヨハネはイエス様とのいのちの関係の部分で全き愛に捕らえられるように教えています。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」１ヨハネ４：１８．</span></p>
<p>（２）三本柱の一人</p>
<p> 　初代教会において、ヨハネはペテロと主の兄弟ヤコブで教会の柱として、教会を支えていたことがわかります。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパと<strong>ヨハネ</strong>が、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。」ガラテヤ２：９．</span></p>
<p>（３）使徒の中で最も長生きをした</p>
<p>　兄のヤコブが早々と殉教したのとは対照的に、ヨハネは紀元９８年に、長寿を全うしてエペソで死を迎えたと言われています。ヨハネが年老いたある時期、ローマドミティアヌス帝によって、迫害を受けて、パトモス島に幽閉されました。その洞窟でヨハネの黙示録という啓示を含んだ手紙を書きました。その後、エペソに戻って、小アジア地方で教会を多く建て上げました。 </p>
<p>　ペテロはイエス様から殉教の死を暗示する言葉（ヨハネ２１：１８）をかけられた時、隣にいたヨハネの運命はどうか尋ねました（ヨハネ２１：２１）。ヨハネのことについては、イエス様はあえて語りません。そして、ペテロに「あなたは、わたしに従いなさい。」と自分の与えられた人生を全うするように言われました。ヨハネ以外の使徒はみんな殉教しました。ヨハネだけは長寿を全うしたのです。クリスチャンであっても、みなその導かれる運命は違います。しかし、主にある人生は平安であり、やがて安息に入れられます。自分の境遇と人の境遇を比べることなく、前にある与えられた人生を進んで行きましょう。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/387.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/387.html" />
	</item>
		<item>
		<title>聖書人物伝：新約7　アンデレ</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/382.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/382.html#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Mar 2011 00:12:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[ネットでバイブル]]></category>
		<category><![CDATA[聖書人物伝]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=382</guid>
		<description><![CDATA[　モイシェー・ロージェントという「伝道王」と言われた人物がいます。彼は「jews for christ jesus」というユダヤ人伝道において大きな道を開いた伝説的な人物です。彼は自分の奥さんをこのように紹介しました。「 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<span style="color: #0000ff;">モイシェー・ロージェントという「伝道王」と言われた人物がいます。彼は「jews for christ jesus」というユダヤ人伝道において大きな道を開いた伝説的な人物です。彼は自分の奥さんをこのように紹介しました。「私の妻セイールは伝道が下手な女性です。今までの生涯で二人しか伝道に成功していません。一人が彼女の娘で、もう一人が彼女の夫である私です。」どんなにユダヤ人宣教に活躍したこの人でも、奥さんが伝道してくれなければ、すべての働きは始まりませんでした。偉大な働きの陰には、人知れずに大切な役割を隠れて担った人物がいるものです。アンデレもまさにこのモイシェーの奥さんのような、隠れた働きをした人です。</span></p>
<p><span id="more-382"></span></p>
<p>１．アンデレの生い立ちと献身</p>
<p>① 生い立ち</p>
<p>　アンデレは、前回、学んだペテロの弟です。兄同様、ガリラヤで漁師をしていました。ガリラヤのベッサイダ出身（ヨハネ１：３３）で、兄弟と漁師という仕事のためか、カペナウムに引っ越したようです。ベッサイダはイエス様が不信仰な町と嘆かれた地域でした（マタイ１１：２２）。そんな土地から弟子たちが選ばれたというのも、神の憐れみではないでしょうか。</p>
<p> 　また、アンデレという名前は「男らしい」「雄々しく」という意味があり、ギリシャ語に由来する名前です。兄シモンがヘブル語の名前とは対照的で、ヘレニズム文化にかぶれた人物だったかもしれません。 </p>
<p>② 献身 </p>
<p>　ガリラヤ地方にいたイエス様が最初に弟子として招いた人がアンデレです。 </p>
<p><span style="color: #ff0000;">「『イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについてきなさい。人間を取る漁師にしよう』といわれた。二人はすぐに網を捨てて従った。」マルコ1章16～18節。</span></p>
<p> 　アンデレは、兄シモンと一緒に献身して、最初にイエス様の弟子となった二人のうちの一人です。</p>
<p> 　しかし、ヨハネの福音書を見ますと、さらに新しい内容がわかります。</p>
<p> <span style="color: #ff0000;">「その翌日、また、<span style="text-decoration: underline;">ヨハネは二人の弟子と一緒にいた</span>。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。・・イエスに従った<span style="text-decoration: underline;">二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった</span>。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア－『油を注がれた者』という意味－に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。」ヨハネ１章３５-４２節</span></p>
<p>　ここでヨハネは二人の弟子と一緒にいたとあります。そして、その一人がアンデレでした。アンデレはもともとヨハネの弟子であり、兄シモンをイエス様に紹介したのもアンデレでした。アンデレはヨハネから離れてイエス様の元へ行くのに躊躇はありませんでした。彼には真理を見つけて、その道を迷わずに進むことができる人でした。もし、アンデレが真理よりも義理を大切にする人なら、この決断はできなかったし、メシアとともに歩む人生は送れなかったでしょう。彼は他の誰かの動向は気にせず、自分が真理を見つけたと思えば、仕事も人間関係でも手放す人でした。</p>
<p>２．性格 </p>
<p>（１）連結者　 </p>
<p>「男らしい」「雄々しい」という名前とは正反対で、おとなしく、小心者の穏やかな性格と言えます。それは兄シモンとは対照的でした。兄のように卓越したリーダーではありませんが、たびたび重要な役割をします。彼の特徴をある人は「偉大な連結者」と呼びました。偉大な何かと何かを結び合わせて、その効用を何倍にもしてみせました。その働きのため彼は尊く用いられました。</p>
<p>　<span style="color: #0000ff;">かつて、レーガンというアメリカの大統領がいました。映画俳優として有名ではありませんが、強いアメリカを作りたいという信念に、多くの国民が賛同して、彼を大統領に押し上げられました。当時のイギリスのサッチャー首相がレーガン大統領の印象について語っています。「レーガン氏と会って話をしてみると、それほど多くのことを知っている人ではなさそうでした。いろんな分野について話をしても、私の方が具体的な部分では知っていました。アメリカには彼よりも優秀な人が大勢いるのではないかと思いました。けれども、彼には卓越している点がありました。それはどんな問題に直面しても、誰がこの問題を解決できるか、誰にこの問題を相談すればいいのかをよく知っている人でした。」彼自身は優秀でなくても、優れた参謀を味方につけて、その問題をその参謀に委ねていくことのできる、レーガン大統領も連結者でした。 </span></p>
<p><span style="color: #000000;">（２）サービスの時代</span></p>
<p>　かつてＰ・ドラッガーという経済学者は「２０世紀は製造の時代、２１世紀はサービスの時代」だと予測しました。サービスとは良いものと良いものを結び付ける役割ができることを言うのです。一昔前は「ノウハウ（know how）：どのように問題を解くのか」、そんな人が求められました。しかし、今は「ノウホエア（know where）：どこにその情報があるのか」その情報を探し出すことの方がずっと重要になっています。</p>
<p>　アンデレも神と人をつなげる連結者でありました。神の求めと、人の必要をつなげることのできる「ノウホエア」を実践した、たぐいまれな人物です。アンデレが、明るく積極的で人望の厚い兄シモンに嫉妬したり、妬んだなら、用いられることはなかったでしょう。アンデレは自分の特質を自分で理解して、黒子に徹することができる人でした。</p>
<p> ３．連結者としての信仰の実践</p>
<p> 　連結者としてのアンデレの働きはどのように、その信仰として生かされたでしょうか。福音書には彼は多くは登場していません。彼はまとめると３つの信仰の事業に参加したと言えます。いずれも、それは「連結者」としての役割だとわかります。</p>
<p> ① 偉大な指導者をメシアにつなげる</p>
<p> 　最初に説明したように、イエス様に最初に出会ったのはアンデレでした。その偉大な方を知ったアンデレは、すぐに兄シモンにイエス様を紹介して、二人をつなげました。友人のナタナエルは、いちじくの木で祈るまことの人でした。その彼もイエス様とつなげたのがアンデレでした。冒頭のモイシェーさんの妻のように、偉大な信仰者になる人を神につなげるのがアンデレの役割でした。</p>
<p> ② 神本主義思考で奇蹟につなげる</p>
<p> 　男だけで五千人という総勢一万人を超えると思われる大群衆を前に、イエス様は弟子たちを試すために、こんなことを相談しまた。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。『どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。』」ヨハネ６：５．</span></p>
<p> その言葉に数学が得しそうなピリポがすぐ反応して言いました。</p>
<p> <span style="color: #ff0000;">「ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」 ヨハネ６：７．</span></p>
<p> 　当然、彼の計算は正しく、二百デナリでは、一万人を前にして焼け石に水です。しかし、これはピリポを試すために質問したとありますから、イエス様はそんな常識の言葉を期待していたわけではありません。不可能と思える中でも、イエス様は信仰を期待していたのです。そのイエス様の期待に答えた人物がアンデレです。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。『ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。』」ヨハネ６:８，９</span></p>
<p> 　アンデレの頭は常識が働きませんでした。ただ、あたりを見回して、パン５つと魚５匹を持っていた少年を見つけて、どうなるかわからないが、とにかくイエス様の元へ連れてきました。無駄とも思えるものでも、とにかく自分の環境にあるものを、イエス様の元へつなげる、まさにアンデレの特徴を現わした行動でした。</p>
<p>　現代人は忙しく、仕事に家庭にいろんなスケジュールが入り込んでいます。そんな多忙な時代に祈り、聖書を学ぶ時間をどうやって割くのでしょうか。一人一人事情を聴けば、十分、納得できる理由があります。生活ぎりぎりの人に十分の一献金は適用されないのでしょうか。人情を考えれば、とても要求できないことです。エリヤはわずかな小麦粉をこねて、パンを焼いて食べて死のうとしているかわいそうなやもめ親子に対して、パンを焼いて、自分に食べさせよと考えられないことを要求しています。これが神の要求です。人情を超えた神の要求に答える時、神の奇蹟が働いて、やもめ親子は助かりました。</p>
<p>教会が人本主義でやっていくなら、人に無理なく、合理的な牧会が必要でしょう。多くは人間のもっともな理由で、信仰の行為ができないと納得しています。しかし、このような合理的信仰で生きるなら、神の奇蹟を体験できないのも事実です。神が働かれる場所は、人間の理屈や計算を超えた神に期待する人本主義の考え方にあるのです。</p>
<p> ② ギリシャ人をメシアにつなげる </p>
<p>　ヨハネ12章20～26節で、ギリシャ人がイエス様と話をしたがっていました。それで、ギリシャの名前を持つピリポに近づきました。その時、ピリポはアンデレに相談します。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。」ヨハネ12:22</span></p>
<p> 　異邦人とユダヤ人が接触することは容易ではありませんでした、ピリポはどう対応するのか迷ったようです。そんな時、頭ではなく行動が先に出るアンデレに相談したのです。その後どうなったか書いていませんが、アンデレは偏見や先入観の前に、とにかくイエス様の元へつなげる人だったのです。「なせばなる」これがアンデレの信仰と言えます。この役割は決して小さくありません。</p>
<p> ４．アンデレの最後</p>
<p> 　あくまでも伝承ですが、ペテロがローマにおいて、ネロ皇帝の演技場で逆さ十字架にかけられたように、アンデレも、伝道していたギリシャのパトラスにおいて、民衆の前で紀元69年11月30日に、Ｘ型の十字架にかけられて殉教したといわれます。その伝承には、彼の熱心な心をあらわす言葉として、「貴い十字架よ。あなたにかけられた師であるキリストの弟子、私を受けてください。ありがたい十字架よ、長くあなたにあこがれていた私は、やっと、私のために用意された平和と喜びをもってあなたのもとへ行きます」と記されています。</p>
<p><span style="color: #0000ff;">黙想・適用</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">１．自分の賜物を自分でしっかり捉えて、人と比べることなく賜物にそって生きているでしょうか。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">２．これからはサービスの時代です。人のニーズを満たすために、いろんな情報を握り、紹介できる人になっているでしょうか。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">３．あなたは人本主義で生きていますか。人間の常識や理屈、情を超えた神本主義に生きているでしょうか。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;">４．自分の実力を現わすより、人の役に立つように連結する人物になりましょう。</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/382.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/382.html" />
	</item>
		<item>
		<title>聖書人物伝：新約6シモン・ペテロ下</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/bsbiblepeople/346.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/bsbiblepeople/346.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 25 Feb 2011 07:42:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[聖書人物伝]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=346</guid>
		<description><![CDATA[　ブロードウェイのカテドラル・セント・ジョーンズ大聖堂に、シモン・ペテロの立派な石造があるそうです。手に天国の鍵をしっかり握りながらも、表情はなぜか当惑気味です。なぜなら、足元でにわとりが一緒にいるからです。栄光と挫折の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　ブロードウェイのカテドラル・セント・ジョーンズ大聖堂に、シモン・ペテロの立派な石造があるそうです。手に天国の鍵をしっかり握りながらも、表情はなぜか当惑気味です。なぜなら、足元でにわとりが一緒にいるからです。栄光と挫折の両面を併せ持つペテロ。ガリラヤという田舎の漁師が、やがて大使徒と呼ばれる器に変えられるプロセスの中に、どのように主が働かれて行ったのか。その流れを今回は追っていきたいと思います。</p>
<p><img src="http://ruahbaptist.com/wp-includes/js/tinymce/plugins/wordpress/img/trans.gif" title="もっと読む..." /></p>
<p><span id="more-346"></span></p>
<p>１．過信</p>
<p> 　イエス様は捕らえられるその日に、弟子たちに語られました。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"> 「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。」マタイ２６：３２．</span></p>
<p>　ゼカリヤ書からの預言を引用して、弟子たちが裏切ることを予告しました。</p>
<p>しかし、ペテロはその言葉に激情しました。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「すると、ペテロがイエスに答えて言われた。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」　マタイ２６：３４．　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</span>　</p>
<p>　ペテロは自分が裏切り者になることを、認めることができませんでした。「たとい全部の者が」と言う言葉に、弟子たちの中に激しい競争意識があるのがわかります。「誰が一番偉いのか？」「誰が信仰が強いのか」そのような自分の能力を競い合ううちに、自分の力を過信してしまったのです。</p>
<p>　かつては、聖会があると、最後に献身する者を募り、伝道者が決心者を前に招いたものです。そして、「主のために殉教を覚悟している人はいますか？」と言うと、感動に包まれた若者はみな手を挙げたと言います。純粋な気持ちでけっこうではありますが、しかし、そんな殉教するような危機的状況でもないのに、そのような決心をして意味があるのかと思ってしまいます。</p>
<p>ペテロだって、その時に自分が裏切るなど夢にも思ってみなかったでしょう。心に熱い情熱はあっても、それを実行する力がありません。私たちの肉は弱いのです。アルコールやギャンブルの依存症になると、「もう二度としません」と泣いて決心します。その気持ちに偽りはありません。しかし、それを守れないのです。これが悲しい人間の本質です。</p>
<p>イエス様はその弱さを百も承知でした。裏切るからと言って、責める気持ちはまったくありませんでした。人間がどういうものか知っていて弟子にしたのです。イエス様がペテロに知ってほしかったこと、いや、クリスチャンすべてに伝えたいこと、それは、自分がいかに弱く、頼りない存在であるかを認め、主ご自身にまったく依り頼む者になってほしいという願いです。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」ヨハネ15：5</span></p>
<p>　自分の弱さを知らないペテロは、絶対に裏切らないと言い張りました。</p>
<p>２．試練</p>
<p>　自分の力を過信するゆえ、ペテロはその弱さを、身を持って体験しなければなりませんでした。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」ルカ２２：３１．</span></p>
<p>サタンはむやみに、人間を攻撃することは許されません。神の許可が必要なのです。それはサタンの訴えに、正当な理由がなければ、聞き届けられません。サタンの正当な訴えとは何でしょうか？それは、ペテロが自分の力で生きているので、神がともに働けないということです。聖書には中間がないと言うことです。神の守りの中にいないなら、それはサタンの領域にいることになります。イエス様はこの時、ペテロと呼ばずシモンと呼びました。シモンは彼の本名で、生まれながらの人間の呼称です。ペテロはその時、囲いの外から離れた羊のようです。イエス様はペテロのためにずっととりなしていましたが、ペテロが裏切らないようにではなく、「信仰がなくならないよう」にと祈ったのです。自分の力で生きるペテロにとって、挫折は避けられないものでした。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。 」１ペテロ５：８．</span></p>
<p>このペテロの手紙の言葉は切実です。自ら体験した霊的戦いを元に聖徒に警告を発しているのです。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、『確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる。』と言った。すると彼は、『そんな人は知らない。』と言って、のろいをかけて誓い始めた。」マタイ２６：７３－７４．</span></p>
<p>　イエス様を知らないと言うだけでなく、呪いをかけて誓いました。言い訳ができない完全な裏切り行為でした。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「するとすぐに、鶏が鳴いた。そこでペテロは、『鶏が鳴く前に3度、あなたは、わたしを知らないと言います。』とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。」マタイ２６：７５．</span></p>
<p>３．励まし</p>
<p>　教育家のシュタイナーと言う人は、人間を4種類の気質に分類しました。第一が「多血質タイプ」好奇心旺盛で、親切、社交的ですが、持続性がない。第二が「胆汁質タイプ」正義感が強く、好き嫌いがはっきりして、明確な意思表示をします。第三が、「粘液質タイプ」のんびり、マイペース型ですが、感性が優れている。第四が「憂鬱質タイプ」頭が良く、石橋を叩いて渡りネガティブ。　　</p>
<p>パウロは胆汁質タイプと言われています。ペテロは多血質タイプです。胆汁質の人は、厳しくしかられてもへこたれませんが、多血質タイプは落ち込みが激しいと言われています。このタイプには励ましが必要だとシュタイナーは言います。まさに、イエス様はペテロを励まし続けました。</p>
<p>裏切る前からイエス様の励ましは始まっていたのです。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 ルカ２２：３２．</span></p>
<p><span style="color: #ff0000;">　「主が振り向いてペテロを見つめられた。」ルカ２２：６１．</span></p>
<p>　ペテロはイエス様が見つめられた後、イエス様の言葉を思い出しました。その眼差しはやさしい、慈しみの眼差しでした。ペテロは多血質ゆえ、激しい落ち込みを経験します。しかし、そこから立ち直ることができたのは、イエス様のみことばを知っていたからでした。</p>
<p>４．回復</p>
<p>　イエス様はよみがえって、弟子たちに現れました。しかし、ペテロたちはガリラヤで漁師を始めています。一度、裏切った事は、ペテロの深い傷としてうずいていました。とても、弟子として立てる状態ではなかったのです。そのペテロたちに、湖の岸で魚を焼いて、イエス様は弟子たちを待っていました。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、<span style="text-decoration: underline;">裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ</span>。」ヨハネ２１：７</span></p>
<p>相変わらずペテロは衝動的でしたが、主に近づくため上着をまとって、飛び込みました。イエス様は、たき火をして、朝食の魚を用意していました。そして、しばらく落ち着いてから、ペテロに質問を投げかけます。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』」ヨハネ21:15-16。</span></p>
<p>　数日前の競争心に煽られて、自分の力を誇ったペテロとはこの時は違います。自分に対する自信が打ち砕かれて、受身で答えています。私たちは自分のことさえわからないのです。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">　「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」ヨハネ２１：１８．</span></p>
<p>裏切る前のペテロは、すべてを捨てて従っていると思いながら、心の底では、自分のやり方、自分の希望を通そうとして、神様を寄り切っていました。しかし、ふたたび呼ばれたペテロは、キリストに支配される道を進みます。それは、自分では望まない、コントロールできない道です。御霊は風のように、どこから吹いて、どこへ行くのかわからないのです。御霊に導かれる人生は、神に人生のハンドルを明け渡すことです。</p>
<p>５．再献身</p>
<p>ペテロはイエス様が命じたように、羊を牧する者として、エルサレム教会のリーダーになりました。使徒の働きを見れば、その活躍がわかります。</p>
<p>　ペテロはネロ皇帝の統治するローマに移って迫害の中、宣教し、紀元６７年に殉教したと言われ</p>
<p>ています。教父オリゲネスによると、ペテロは妻とともに捕らえられて、主と同じでは申し訳ないと言うことで、逆さ十字架を願って処刑されたと言うことです。投獄の間、信仰を証しして、４０人の看守がその聖霊に満たされたペテロに心を動かされて回心したと言われています。</p>
<p>カトリック教会の法王はペテロの地位を継承する者とされています（もちろん聖書的ではありません）。シモンと言う名は「葦」という意味です。浮草のように不安定な人。そんなシモンがペテロ「岩」に変えられました。イエス様の継続的な励ましと、支えによって、人は大きく変えられるのだということを証明するサンプルになる人物です。パウロは自分の体験から、確信をもって宣言しています。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」１ペテロ５：１０．</span></p>
<p>黙想・適用</p>
<p>１．自分の力を過信していることはないでしょうか。主から離れて何もできないことを知っていますか。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p>
<p>２．試練があっても、みことばが心にあると、いつも励まされ、自分を支えることができます。あなたはつねに、主の支えであるみことばを蓄えているでしょうか。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　３．自分の人生は自分でコントロールするものでは決してありません。主がハンドルを握って、強引に行く場合もあるのです。そのことを覚悟して歩んでいでしょうか。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　４．あなたはキリストにあって、変えられていくことを信じていますか。それは主がなさることです。主に信頼して、ともに歩んでいるでしょうか。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/bsbiblepeople/346.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/bsbiblepeople/346.html" />
	</item>
		<item>
		<title>第１章　『聖書は普通の本ではない』</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/bilble/bsbiblebiginer/301.html</link>
		<comments>https://ruahbaptist.com/bilble/bsbiblebiginer/301.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 28 Jan 2011 01:20:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[聖書入門]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ruahbaptist.com/?p=301</guid>
		<description><![CDATA[序：「科学の発展したこの時代に神を信じるなんて」と言う人もいるでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。ほとんどの会社に神棚が置かれ、家を建てる時には地鎮祭が行われ、プロ野球ではキャンプ前に選手が揃って神社参りをして、優勝 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>序：「科学の発展したこの時代に神を信じるなんて」と言う人もいるでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。ほとんどの会社に神棚が置かれ、家を建てる時には地鎮祭が行われ、プロ野球ではキャンプ前に選手が揃って神社参りをして、優勝祈願します。ある人は商談がうまくいった日に身に着けていたネクタイや下着を縁起かつぎにします。暦や厄年とかを気にします。これは日本だけではなく、どのような文化にも見られる光景です。これらのことから、人間には自然を超越した何者かを信じたい、すがりたいという心が無意識に働いていることがわかります。<span id="more-301"></span>そんな中で、人間の歴史の中でも最も人間の精神性、社会を導いてきた書物が聖書と言っても過言ではありません。日本は仏教国だから関係ないと言うかもしれませんが、日本であっても、聖書の影響は計り知れないのです。その聖書をひも解いて学ぶことは素晴らしいことであり、確信をもってお勧めできる書物です。</p>
<p><strong>１、聖書は世界で一番…</strong></p>
<p>（１）発行されている</p>
<p>1996年の統計で、世界で年間５億３千万冊が発行されました。数百万冊でベストセラーと言われる本の世界で、この発行部数は驚異的です。ベストセラーになった本は、その翌年には他の本に関心を奪われますが、聖書は毎年、変わらず印刷され続けているのです。文句なしに一番のベストセラーです。しかも、この特別な書としての聖書の存在が、驚くべき長い歴史を貫き続けているのです。</p>
<p>（２）翻訳されている</p>
<p>聖書は何か国語に翻訳されていると思いますか？　世界には５０００近くの言語があると言われています（方言など少数部族も含まれる）。その中で聖書はすでに約3000近い言語に翻訳され、いまもその数は増え続けているのです。こんな本は他にはありません。ちなみに、日本でも東北弁のケセン訳、コテコテ大阪弁訳もあります。かの有名なベッテルハイム博士の琉球語訳聖書も県立図書館にあります。仏典の翻訳が４０ぐらいだと言われていますから、その数のすごさが理解できるでしょうか。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」ローマ人への手紙１０：１８</span></p>
<p>（３）迫害を耐えた</p>
<p>聖書ほど、歴史の中で時の支配者達から嫌われ、迫害を受けてきた本はありません。それは例えば、３世紀のローマ皇帝による迫害や（ディオクレチアヌスは徹底した迫害の後「キリスト教は滅亡した」という記念碑を建てたそうです）、 ティンデルが作った最初の英語訳聖書に対する迫害（印刷された1800冊の内現存するのは２冊の断片のみ）等常に歴史の中に見られたことです。なぜ聖書は迫害されたのでしょう。理由は様々でしょうが、例えば、聖書が神の御前で全ての人間を等しく尊い存在として扱うことを求めていることや、神の御前で人間は支配者も庶民も皆等しく罪人であるという聖書の人間観…といったあたりが専制的な政治体制からは嫌われたのでしょう。</p>
<p>（４）人類に影響を与えた</p>
<p>しかし聖書ほど人類の歴史・思想・哲学・法律・政治・文化…等々に影響を与えてきた本はないという点には、多くの人が同意するでしょう。太宰治、芥川龍之介、夏目漱石なども聖書を愛読していました。信仰を持っていなくても、勉強のために聖書だけは最低わきまえなければ、と思って聖書と取り組んでいる方も多いのです。</p>
<p>世界の発展はヨーロッパの歴史と切り離せません。西洋の発展は聖書と切り離すことができないのです。世界をリードしているアングロサクソン系の人たちは、もともとは森で狩人する蛮族だったのです。その彼らに聖書が渡り、目覚ましい発展をしてきました。現代の基礎を作った産業革命は聖書主義が要因だと経済学者のマックス・ウェーバーは言っています。</p>
<p>民主主義の考え方、各国の法律、女性の地位の向上、芸術等、全てその根底に聖書の影響を見ることができると言っても過言ではないでしょう。日本も聖書を基盤とする民主主義が西洋から入って来る以前を考えるなら、どれだけ日本に聖書の影響が深いかわかります。</p>
<p>あるアメリカの討論会で進化論者が聖書を信じる学者に対して、討論会を申し込みました。進化論者は聖書に対する反論を並べたてて攻撃しました。そして、「われわれに対して反論してみろ」と強気に言いました。すると、聖書を信じる学者が「よろしい」と言って、合図を送ると、たくさんの人がスタジオに登場しました。その人たちは元麻薬患者、元ギャング、借金、酒、ギャンブルで家族や仕事を失い、人生を狂わせた人たちでした。彼らがいかに、聖書を読んで、イエスを信じて、どのように人生が変えられたか喜んで証言しました。それを聞いて、「もういい」と進化論者は反論できなくなりました。聖書は科学で説明する書物ではなく、信仰書です。多くは科学的に証明できていますが、たとえ説明できなくても、世界中に人生を変えられた人たちが大勢、存在するのです。</p>
<p><strong>２、有名人の聖書観</strong></p>
<p>（１）ゲーテ</p>
<p>私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。</p>
<p>（２）リンカーン</p>
<p>聖書は、神が人間に賜わった最もすばらしい賜物である。人間にとって望ましいものはすべて聖書に含まれている。</p>
<p>（３）カント</p>
<p>聖書の存在は、人類がかつて経験したうちで最も大きい恵みである。</p>
<p>（４）グラッドストーン</p>
<p>私は95人の現代の世界的偉人を知っているが、そのうち87名は聖書を奉ずる者である。</p>
<p>（５）ルター</p>
<p>聖書は古いものでもなければ、新しいものでもない。聖書は永遠のものである。</p>
<p>（６）ニュートン</p>
<p>いかなる世界の歴史におけるよりも、聖書の中にはより確かな真理が存在する。</p>
<p>（７）ナポレオン</p>
<p>聖書は単なる書物ではない。それに反するすべてのものを征服する力を持つ生き物である。</p>
<p>（８）ディケンズ</p>
<p>聖書はかつてこの世に存在したあるいは存在するであろう書物の中で最高のものである。</p>
<p>（９）ハーシェル</p>
<p>人類のあらゆる発見は、聖書に収められている真理をいよいよ強く証拠だてる。</p>
<p>（10）ガンジー</p>
<p>私の生涯に最も深い影響を与えた書物は聖書である。（ガンジーはヒンズー教徒です）</p>
<p>（11）T.ルーズベルト</p>
<p>聖書を教えないような単なる教育は、無責任な人に鉄砲を渡すようなものである。</p>
<p><strong>３、聖書の成立</strong></p>
<p>（１）聖書は約1600年間かかって書かれました。</p>
<p>その最も古い部分は紀元前1500年頃書かれたと言われます。</p>
<p>これは、例えば日本の古典である「古事記」や「日本書紀」が８世紀のものであることと比べますと、それより2000年以上古いわけですから驚かされます。更に書き続けられた期間が1600年にも渡ることも考えてみますと驚異的なことです。一口 に「1600年」と言っても、例えば、日本では明治維新から約100年余り、アメリカが建国以来約200年余り、ロシア革命から100年たたないうちにソビエト連邦が解体し たことなど考えますと、少しはその「長さ」が実感できる実感できるでしょうか。</p>
<p>（２）聖書は約40人の著者達によって書かれました。</p>
<p>彼らの身分は色々であり、職業も色々、時代も色々、生活した土地も色々でした。彼らは多くの場合互いに無連絡で、互いの著作を知り得なかったケースが多いのです。</p>
<p>（３）聖書には調和と統一があります。</p>
<p>以上のことを考えますと、聖書が今一冊になっているということ自体が驚くべきことではないでしょうか。長い時間・多くの著者…しかし統一した主題で貫かれており、一人の主人公キリストを中心にして記されています。今でも「聖書は誤りの 無い神の言葉だ」と主張されるように、見事に全体が調和しているのです。</p>
<p>（４）正確である</p>
<p>たとえば、ダニエル書5章にバビロンの「<strong>ベルシャツァル王」が最後の王となっていますが、ベルシャツァル王の名前は古代文献になく、</strong>「ナボニドス王」が最後の王と言うのが常識でした。<strong>考古学の世界で聖書は創作だと酷評されていました。しかし、あらたな発掘によると、「ベルシャツァルがナボニドスの息子であり、王権を付与されていたこと、そしてバビロニア滅亡時には、父親のナボニドスは退位しないままアラビアに退いており、ベルシャツァルが帝国を統治していた」ことがわかりました</strong>。聖書の記述は正確だったのです。他にも<strong>、</strong><strong>使徒１３章の地方総督セルギオ・パウロ</strong>について<strong>、</strong><strong>列王記第二１９章のセナケリブについても、考古学の常識より、聖書の方が正しいことが判明されました。今、否定されている聖書の記述も、やがて新たな発見によって、ひっくり返るでしょう。</strong></p>
<p>（５）聖書の驚くべき記述</p>
<p>現代にしか知りえない地球観を表現している。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「地を何もない場所にかけられる」ヨブ記26：7</span></p>
<p>数百年前まで、地球は平らで、地平線の先は滝のようになっていると考えられていました。それを考えれば、コロンブスの冒険は滝に向けて進む、勇気のある航海だったわけです。しかし、聖書はずっと昔から、地球が宇宙に浮かんでいることを表現しています。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「主は地の円のはるか上に座して、地に住む者をいなごのようにみられる」イザヤ40：22</span></p>
<p>ガリレオ裁判で、聖書はガリレオの「地球は球体」という説を否定しているみたいに思えますが、否定したのは時の宗教的権力者であり、聖書は地球が丸いことを記しています。</p>
<p><span style="color: #ff0000;">「エルサレムは諸国の民の真ん中」エゼキエル5：5</span></p>
<p>イギリスの研究チームが地球のヘソに当たる場所はどこか？と調べた結果、イスラエルだと報告しています。イスラエルはヨーロッパ、アジア、アフリカをつなぐ場所だと言えます。</p>
<p>※ノアの箱船の設計は、造船技術者の進藤氏が計算した船が最も安定して水に浮かぶ比率（黄金率）とまったく同じだと本人が言っています。</p>
<p><strong>４、聖書の原語</strong><strong> </strong></p>
<p>（１）旧約聖書のほとんどの部分は、ヘブル語で書かれています。</p>
<p>（２）新約聖書はギリシャ語（部分的にアラム語など）で書かれています。</p>
<p>私達が手にしている聖書は、この原語から、注意深い学問的な作業を通してでき上がったものなのです。</p>
<p>19787年に英国政府が南洋群島のタヒチへパンの木を栽培するために、100人ほどを送りだしま</p>
<p>した。彼らは「バウンティン号」に乗って島に向かいました。島に着いてみると、そこは自然に囲</p>
<p>まれたパラダイスのようで、島の女性も美しかったのです。彼らは現地の女性と結ばれ、子供を設けて行きました。船員たちは本国からの使命を忘れて、船長に対して反乱を起こして、船長たちを島から追い出してしまいました。</p>
<p>本国からの追跡を恐れた彼らは、現地でできた家族を連れて、イギリスの地図に載っていないピトケーン島へ避難しました。その島に住みついてから、マッコイという人がお酒を造るようになって、秩序が乱れるようになりました。本国から追われているというストレスと、慣れない異国での不便な生活にお酒も入って、お互いに疑心暗鬼になって行き、殺し合いが始まりました。その中で一番強靭なジョン・アダムスという人が最後の英国人になりました。彼と現地の女性たちと混血の子供たちが残りました。</p>
<p>一方で、英国は戦争を始めたため、バウンティン号の追跡ができなくなり、月日が流れました。</p>
<p>それから、３０年経って、ピトケーン島に通りがかりのアメリカの船が上陸しました。船員たちは、島の風景を見て驚きました。何とそこには礼拝堂が建てられていて、島の人たちは見たこともない混血の人たちでした。そして、その島の王として尊敬されているのが、ジョン・アダムスという老人でした。</p>
<p>ジョン・アダムスは同僚を失い、絶望していた時、船に残っていた聖書を手にしました。その後、聖書を読み始めて彼は変えられて行きました。そして、子供たちにも読み書きを教え、聖書で教育しました。彼らは教会堂を建て、聖書中心とした共同体を築いて行ったのです。その後、英国はアダム・スミスに恩赦を与え、彼は島の家族たちに囲まれて、生涯を終えました。</p>
<p>この島を変えたのは、一冊の聖書だったのです。・</p>
<p><span style="color: #ff0000;">『聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 』Ⅱテモテ３：１６</span></p>
<p>質問：</p>
<p>１．今まで抱いていた聖書への理解と学んだ今ではどんな変化がありますか？</p>
<p>２．歴史に大きな影響を与えた聖書について知った今、あなたの人生にも大きな影響を与えると思いませんか？</p>
<p>３．神が創造主であるなら、聖書は造られた人間のためにある取扱説明書のようなものです。説明書を読まずに、製品がうまく扱えないのと同様、聖書を知らないと、人生をうまく生きることはできません。あなたは、この取扱説明書をもっと深く学びたいと思いませんか？</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://ruahbaptist.com/bilble/bsbiblebiginer/301.html/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="https://ruahbaptist.com/bilble/bsbiblebiginer/301.html" />
	</item>
	</channel>
</rss>
