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	<title>沖縄バプテスト連盟所属　ルア教会 &#187; 耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ</title>
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	<description>沖縄県浦添市にあるプロテスタント教会です</description>
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		<title>負の連鎖を断ち切る</title>
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		<pubDate>Thu, 20 Apr 2017 23:01:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[「・・ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。」詩篇２５篇３節。 ２５篇はダビデが息子のアブシャロムに謀反を起こされ、逃亡している時の内容だと言われています。 ですから、「裏切る者」とはアブシャロムのことであり、また名参謀のアヒ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「・・ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。」詩篇２５篇３節。<br />
２５篇はダビデが息子のアブシャロムに謀反を起こされ、逃亡している時の内容だと言われています。<br />
ですから、「裏切る者」とはアブシャロムのことであり、また名参謀のアヒトフェルのことです。<br />
２５篇を読むと、ダビデの心に罪責が強いことがわかります。<br />
そうです。この災いは身から出た錆なのです（Ⅱサムエル１２章１０節）。</p>
<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2017/04/ouzima.jpg"><img title="070827_1015~01" class="alignright size-thumbnail wp-image-1902" src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2017/04/ouzima.jpg" width="150" height="150" /></a></p>
<p><span id="more-1917"></span></p>
<p>バテシェバ事件でダビデの周りの人が深く傷つきました。ダビデは自分と類似する罪を犯した息子アムノンを叱責することができず、そのことでアブシャロムは傷つき、父ダビデに対する憎しみを積み上げていきます。アヒトフェルはバテシェバの祖父に当たります。孫とその婿をほしいままにしたダビデにやはり憎しみを抱きます。ダビデを裏切った二人は、ダビデの罪によって傷ついており、被害者だと言えます。しかし、ここでダビデは彼らのことを「ゆえもなく裏切る者」と言っています。ゆえもなくとは、「理由にならない」「正当化できない」と言う意味です。つまり、たとえ傷ついて、被害者であっても、それを理由にして、罪を犯すことは正当化できないと言うことです。<br />
　アメリカにコディ・スコットと言う男性がいます。11歳の時に少年ギャングのリーダーとして殺人事件を起こし、その後も犯罪を重ねて、人生のほとんどを刑務所で過ごしている人です。刑務所で彼は「モンスター」と言う自伝を書いて有名になりました。「自分がこのような人間になったのは生い立ちが原因。食べるものも満足に与えられない貧しい家庭で、両親からの暴力を受けて育ったから。」彼は少年時代を「地獄さながら」と表現して、多くの人々の同情を誘いました。しかし、彼がひた隠しにしている事実があります。彼は５人兄弟で、他の４人も彼と全く同じ環境に育ったのに、他の４人は犯罪や暴力と無縁の生活を送って、普通の人生を歩んでいると言う事実です。彼の兄弟たちもひどい虐待を受けているわけですから、良い家庭で育った子供よりも何倍も悪い連鎖の中に迷い込んでしまう強い誘惑があったと思います。しかし、他の兄弟たちは、コディのように悪い道に進むことを拒否しました。そして、彼らはその問題を乗り越えたのです。人間にはモデリングは大切です。良い家庭、良い環境で育つならそれだけ良い人生を送る確率が高くなってくる。もし、悪い人間関係、悪い環境で育つなら、それだけ道を踏み外しやすくなります。そういう育ちの中にある人は多くの負の遺産を背負って、生きづらさ、痛みと言うのはあるし、罪に傾く傾向はある。しかし、それは運命ではないのです。<br />
　ヤベツの祈りで有名なヤベツと言う人は、その名前の意味が「悲しみの中で産まれた子」と言う意味です。名前からして彼の生い立ちが負の遺産を背負わされたのを垣間見ることができます。しかし、ヤベツは自分の負の連鎖を祈りで断ち切ったのです。「『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。』そうすると神は彼の祈りをかなえられた。」Ⅰ歴代誌４章１０節。彼は大いに祝福された人へと変えられました。私たちは生い立ちや負の遺産によって、罪にはまることを拒否しないといけない。福音は私たちの弱さを克服させ、人生を飛躍させるものなのです。</p>
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		<title>運命の分かれ道</title>
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		<pubDate>Mon, 03 Apr 2017 22:38:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[「ところで、イスカリオテのユダは、12人の弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。」マルコ１４章１０節。 ユダはなぜ、３年半も寝食を共にしたイエス様を裏切る気持ちになったのでしょう？ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「ところで、イスカリオテのユダは、12人の弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。」マルコ１４章１０節。<br />
ユダはなぜ、３年半も寝食を共にしたイエス様を裏切る気持ちになったのでしょう？</p>
<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2017/04/070827_101501.jpg"><img title="070827_1015~01" class="alignright size-thumbnail wp-image-1902" src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2017/04/070827_101501-150x150.jpg" width="150" height="150" /></a></p>
<p><span id="more-1897"></span></p>
<p>その前の出来事を読んでみてください。罪深い女が大事な香油を惜しげもなくイエス様のために注ぎだしました。それを見てユダは憤慨したのです。「もったいない」と。それに対してイエス様は、女をほめて、ユダをたしなめたのです。ユダはお金に執着する人で、預かっていたお金を着服していました。自分はイエス様を愛していないのに、口ではきれいごとを言っていたのです。イエス様を心から愛する女が、ユダの心を不機嫌にしました。ユダはイエス様にその偽善をつつかれたのです。それでイエス様に憎しみを覚えました。ユダは自分が否定されたと感じました。しかし、彼の偽りが暴露されたまでのことです。こんな時は人を恨むのではなく、自分が悔い改めないといけないのです。ここで人を恨むか、自ら悔い改めるかは、運命の分かれ目です。ユダは悲惨な選択をしました。イエス様の下へ行くなら、いつでも、赦しと解放の道が用意されています。</p>
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		<title>明け渡すこと</title>
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		<pubDate>Fri, 24 Mar 2017 02:38:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[スーパーに行くと、「カロリー0」「脂肪0」「糖質0」などの商品があり、いかにもヘルシーに見えます。 しかし、脂肪やカロリーのない食品は美味しくありませんから、それを埋め合わせるために、たくさんの添加物を加えます。結果、余 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>スーパーに行くと、「カロリー0」「脂肪0」「糖質0」などの商品があり、いかにもヘルシーに見えます。<a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2017/03/small__38194017431.jpg"><img title="small__3819401743" class="alignright size-thumbnail wp-image-1887" src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2017/03/small__38194017431-150x150.jpg" width="150" height="150" /></a><span id="more-1880"></span></p>
<p>しかし、脂肪やカロリーのない食品は美味しくありませんから、それを埋め合わせるために、たくさんの添加物を加えます。結果、余計にヘルシーではなくなるのです。神を心から愛していないクリスチャンは、それを埋め合わせるために善い行いをします。自分の大切な部分を明け渡すことをしないため、その代替として、一部の大切ではないものを捧げて、これで自分は神様に従っていると、自分を偽るのです。そうやって、善を行えば行うほど、心は邪悪になっていきます。神様が喜ばれるのは全焼のいけにえです。神様は私たちの良い行いを求めているのではありません。私たちの心が欲しいのです。イエス様を信じると言うことは、自分を明け渡すことを意味します。しかし、神様の望む人生ではなく、自分の望む人生を生きたいために、明け渡しません。もし、自分を捧げないなら、すべての良い行いは無意味です。いや、有害でさえあります。</p>
<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2017/03/small__3819401743.jpg"><br />
</a></p>
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		<title>トラウマからの回復</title>
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		<pubDate>Wed, 04 Apr 2012 22:31:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちの生きるこの世界は罪に満ちていて、社会やコミュニティに入って、人と関われば関わるほど傷ついてしまいます。だからと言って、ハウス栽培の野菜のように、自分を人から隔離して生きるのも得策ではありません。しかし、私たちが受 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私たちの生きるこの世界は罪に満ちていて、社会やコミュニティに入って、人と関われば関わるほど傷ついてしまいます。だからと言って、ハウス栽培の野菜のように、自分を人から隔離して生きるのも得策ではありません。しかし、私たちが受ける心の傷は生命の危機となり、そのため関心が自己に集中してしまい、健全さを失わせて行きます。このトラウマから私たちは回復する必要があります。現代のトラウマ（心の傷）学の第一人者と言われるジュディス・ハーマンは「トラウマの記憶は認知情報処理では消化されない」と言っています。つまり、理屈や説得では無理なのです。頭ではなく、ハートに届くものしか解決がありません。また、「なぜこのようなことが私に起きてしまったのか？」「この不幸と思えることに何の意味を見出せるのか？」そのトラウマ体験に積極的意味を見出せない限り、前に進めないのです。さらにハーマン氏は、「トラウマから回復するもっとも有効なものは、超越者との情緒的、霊的な出会いである。」と言っています。人の慰め、哲学、精神修養ではだめなのです。宗教儀式でもだめです。超越者、つまり、生けるまことの神との人格的な結合、これが重要だと言うことです。（※神学者の言葉ではなく、一般の臨床医の言葉だと言う事に注目です）。トラウマ体験を通して、生ける神を見出す幸い。その出会いを通して、私たちの心の傷が輝く星に変わるのです。</p>
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		<title>永遠の未来のために大切な今を生きる</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Sep 2011 23:59:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[　 イエスキリストにある希望をもつ私たちには永遠の未来という慰めがあります。しかし、現実を無視して未来だけを見て生きることはできません。なぜなら、過去の自分が今の自分を造り上げており、今の生き方が未来を決定するからです。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/09/DSC00306.jpg"><img title="SONY DSC" width="150" src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/09/DSC00306-150x150.jpg" height="150" class="alignright size-thumbnail wp-image-556" /></a></p>
<p>　
<p>イエスキリストにある希望をもつ私たちには永遠の未来という慰めがあります。しかし、現実を無視して未来だけを見て生きることはできません。なぜなら、過去の自分が今の自分を造り上げており、今の生き方が未来を決定するからです。過去と現在はつながっており、現在と未来もつながっているのです。これらは切り離すことはできません。有名なジョン・ウェスレーの言葉です。「今、神に向かって生きている者以外に、後に神とともに生きる者はいない。地上において神に似た品性を持つ者以外、誰も天において神の栄光を享受する者はいない。現在、罪から救われている者以外、将来の地獄から救われる者はいない。今、この時神の国を自分の心に持つ者以外は、誰も天において神の国を見ることはできない。今、キリストに支配を受けない者以外に、天においてキリストとともに治める者はいないのである。」信仰は今なのです。「いつか」では遅いのです。今、神を愛し仕えるしか道はありません。</p>
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		<title>私＋イエス様＝大勝利</title>
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		<pubDate>Fri, 01 Jul 2011 23:46:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[「主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、・・主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。」ヨシュア10:10- [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/07/DSC00538.jpg"><img src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/07/DSC00538-150x150.jpg" title="SONY DSC" width="150" height="150" class="alignright size-thumbnail wp-image-494" /></a></p>
<div><span style="color: #ff0000;">「主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、・・主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。」ヨシュア10:10-11</span>.</div>
<div>　私が高校生だった頃の話です。</div>
<div>毎年、Ｂクラスが指定席であった阪神タイガースが、1985年に突然変異して、強くなり、ついに日本一になりました。</div>
<div><span id="more-493"></span></div>
<p> </p>
<p>　その理由は助っ人外人バースの活躍があったからです。阪神のピッチャーはよく打たれることで有名でした。その年も例外なく打たれました。しかし、それ以上にバースが打ちまくったのです。そして、バースは３冠王になり、阪神も優勝しました。阪神の力だとＢクラスですが、阪神＋バースだと優勝になりました。イスラエル軍にも神様がともにいたので、神様の助けでイスラ<br />
エルは大勝利でした。彼らの戦力の何倍も神様ご自身が頑張ってくださって、敵を倒してくださったのです。神様を味方につけるなら、あなたの力では到底、乗り越えられない問題も、、解決することができるのです。なぜなら、神様はバース以上の最強の助っ人なのですから。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>今こそ宣教を考える</title>
		<link>https://ruahbaptist.com/essay/401.html</link>
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		<pubDate>Tue, 29 Mar 2011 04:33:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[  　広瀬隆氏が昨年出した本において、地震の多い日本でいかに原子炉が危険かをすでに警告していたことがわかる。この本の書評をアマゾンで覗いて見ると、広瀬氏が専門でないことを理由に、トンデモ本であると科学者や専門家からは断定 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/03/033005541.jpg"><img src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/03/033005541.jpg" title="03300554" width="100" height="144" class="alignright size-full wp-image-406" /></a></p>
<p> <br />
　広瀬隆氏が昨年出した本において、地震の多い日本でいかに原子炉が危険かをすでに警告していたことがわかる。この本の書評をアマゾンで覗いて見ると、広瀬氏が専門でないことを理由に、トンデモ本であると科学者や専門家からは断定されて、嘲笑されていたと言う。</p>
<p><span id="more-401"></span></p>
<p>　しかし今回、広瀬氏が警告していたことが現実に起こってしまったわけである。ユーチューブで、氏は震災の後、自分の警告通りになったことで、とても悲しんでおられた。私は広瀬氏を見て、17年前の松本サリン事件を思い出した。事件が起きて、めずらしい薬品を所有していたと言うことで、真っ先に河野さんが犯人に疑われた。テレビは連日、河野さんがあたかも犯人かのように報道した。日本人の多くも「彼が犯人では」と思ったことだろう。しかし、河野さんの疑いが晴れたのは、皮肉にも東京で地下鉄サリン事件が起こってからであった。テレビ朝日の報道番組で衛星中継で出演した河野さんは、「このような形で自分の無実が証明されて、これ以上悲しいことはない」と涙ながらにコメントをされていた。自らが訴える真実な内容が、不幸な形で証明されることは、何ともいたたまれないことである。</p>
<p>　エレミヤが生きていた時代は、バビロンの脅威が刻々と迫るそういう状況でした。イスラエルはまことの神に背いた偶像崇拝の罪を直ちにやめて、神に立ち返る緊急性がありました。しかし、当時の預言者は人々の心を問題に向けさせず、「偽りの平安」を与えることを常としていました。そんな中、エレミヤは立ち上がり、民にとっては耳の痛い警告を語り続けたのです。しかし、警告すればするほど、エレミヤは孤立し、笑い者にされ、迫害されました。民は自分が願っていること、見たいもの、聴きたいことだけしか情報として拾いません。それで自らに心地よい偽預言者のことばを信じたのです。結果は聖書にあるとおり、エレミヤの警告が成就し、国は滅びてしまいました。バビロンに連行されて行く、同胞の民を見て、エレミヤはどんな気持ちだったでしょうか。</p>
<p>エレミヤの一昔前にいたイザヤも同様の警告をイスラエルに発するように神様に命じられた。その時、神はイザヤが民に警告したとしても、彼らは悟らず、悔い改めないことを事前に予告した<span style="color: #ff0000;">。「すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが<span style="color: red;">悟るな</span>。見続けよ。だが知るな。』 」イザヤ6章9節。<span style="color: #000000;">神はイザヤに悔い改めないとわかっている民に警告するように、不毛な使命を命じたのである。イザヤは複雑であったであろう。しかし、このことはイエス様にも見られることだ。『<span style="color: #ff0000;">ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、<span style="color: red;">めんどりが</span>ひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。』マタイ23章37節</span>。 パリサイ人たちに何度もかかわって、教え、警告を与え続けてもイスラエルの指導者たちは悔い改めない。自分のもとに来ないとわかっていても涙をもって語り続けるのである。</span></span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"><span style="color: #000000;"> </span></span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"><span style="color: #000000;">　今、日本は未曾有の災害に遭っている。これで、日本人が霊的覚醒に至ることを望む一人ではあるが、じっさいどれぐらいの人が回心するのかわからない。黙示録では歴史上なかった神の最大の怒りの鉢を投げ込まれた時、地上の三分の一は死にます。しかし、なおも悔い改めなかったとある。私たちの宣教とは、それだけ困難な働きだと言える。このような目に遭っても、多くは神を見いださないかもしれない。それでも、日本人のために涙し、とりなさなければいけない、大きな重荷がのしかかる働きだと言える。私たちはイエス様が人類のために十字架にかかり、贖いを完成させたこと、それを信じる者に永遠のいのちが与えられ、信じない者は罪に定められ、永遠のさばきを受けるという宣教のことばを、人々が地獄の入り口をくぐった時に、福音の真実が証明されることを、なんとしてでも避けたいのである。そんな悲しいことはあってはならないと強く思う。</span></span><span style="color: #ff0000;"><span style="color: #000000;">たとえ、この宣教が困難であっても、人間の強固で頑なな心を、憐れみの神が開いてくださることを求めて、その扉が開かれることを信じて、宣教していくのである。</span></span></p>
]]></content:encoded>
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		<title>神の子としての地位</title>
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		<pubDate>Wed, 02 Mar 2011 03:44:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[　私が中学生の時、少年ジャンプで「キャプテン」という少年野球マンガがありました。主人公の谷口君は気が弱く、優しい性格でした。彼は野球の名門中学の野球部員でをしたが、訳あって都立中学へ転校しました。転校した中学で野球部に入 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/03/DSC00165.jpg"><img src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/03/DSC00165-150x150.jpg" title="SONY DSC" width="150" height="150" class="alignright size-thumbnail wp-image-355" /></a></p>
<p>　私が中学生の時、少年ジャンプで「キャプテン」という少年野球マンガがありました。主人公の谷口君は気が弱く、優しい性格でした。彼は野球の名門中学の野球部員でをしたが、訳あって都立中学へ転校しました。転校した中学で野球部に入部した所、名門中から来たと言うことで、部員たちは大喜びします。そして、谷口君に過度な期待を寄せます。実は、谷口クくんは名門出身とは言え、泣かず飛ばずで監督にも名前を覚えられていない補欠だったのです。みんながあまりにも谷口くんに期待するため、本当は補欠だと言い出すことができません。それで、仲間を失望させたくないあまり、谷口くんは仲間の期待に応えるために、猛練習を始めます。そのプロセスで仲間と一緒に成長し、期待以上のプレイヤーに成長して、名門校を倒すという内容です。</p>
<p><span id="more-354"></span></p>
<p>私たちはイエス様を信じて、神の子とされたとあります。しかし、現実の自分を見たときに、神の子からはかけ離れた品性で、そのギャップに苦しみます。神様はそんな弱く、神の子にふさわしくない私たちをあえて、神の子とします。まず、地位を与えたのです。「わが愛する子よ。」と天の父は私たちを呼びます。最初が抵抗があるでしょう。不釣合いな自分に葛藤するかもしれません。しかし、私たちが天の父と関係を築いていく時に、その愛に励まされて、自分もその神の子の地位にふさわしい振る舞い、態度を身につけようと心がけるようになります。その励ましと期待に包まれて、しだいに神の子の地位にふさわしく自分が変えられていくのです。神様はまず、私たちに高貴な地位をまず与え、その地位に沿って、私たちを扱い、整え、神の子にふさわしい者に変えてくださいます。私たちの向かっている方向を知るなら、今の自分に失望することはありません。</p>
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		<title>人格について</title>
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		<pubDate>Fri, 18 Feb 2011 02:19:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[  　人格（person）はラテン語の「Persona」から由来すると言われます。主な意味は「演劇用仮面」に使われたそうです。演劇によって俳優は役があります。芝居のたびに仮面をかぶって、その役を演じていくわけです。つまり [...]]]></description>
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<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC001151.jpg"><img src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/02/DSC001151-150x150.jpg" title="SONY DSC" width="150" height="150" class="alignright size-thumbnail wp-image-341" /></a></p>
<p>　人格（person）はラテン語の「Persona」から由来すると言われます。主な意味は「演劇用仮面」に使われたそうです。演劇によって俳優は役があります。芝居のたびに仮面をかぶって、その役を演じていくわけです。つまり、個人の人格性は関係の中で個人の役割を果たしていくこと、それがそもそもの人格の意味でした。</p>
<p><span id="more-338"></span></p>
<p>現代は個人主義になってしまって、自分らしさとか、自分のやりたいように生きる、好きなものを自由に選んでいく、もちろん個人の気持ちは尊重されるべきです。しかし、もともとは他者とのかかわりの中での自分であり、その共同体で自分に与えられた役割を果たしていくことが大切なこととされました。よくバイリンガルの人は言語ごとに人格を持つと言われています。パウロはユダヤ人にはユダヤ人の仮面をかぶって、ギリシャ人にはギリシャ人の仮面をかぶって接しました。私たちはキリストの共同体を愛し、仕えて、共同体の一部として、自分を表していくのです。</p>
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		<title>人生で受ける傷をどう扱うか２</title>
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		<pubDate>Fri, 11 Feb 2011 02:34:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruah</dc:creator>
				<category><![CDATA[耳薬(ﾐﾐｸﾞｽｲ)エッセイ]]></category>

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		<description><![CDATA[　 精神科医の星野 仁彦氏が全国のある大学講師の集まりで調査した所、福祉、心理学系に在籍する生徒のおよそ半数は機能不全の家族に育てられ、何らかのトラウマを持っていると言うことです。それ以外の学部の生徒でトラウマを有するの [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/02/080228_081601.jpg"><img src="http://ruahbaptist.com/wp-content/uploads/2011/02/080228_081601-150x150.jpg" title="080228_0816~01" width="150" height="150" class="alignright size-thumbnail wp-image-329" /></a></p>
<p>　 精神科医の星野 仁彦氏が全国のある大学講師の集まりで調査した所、福祉、心理学系に在籍する生徒のおよそ半数は機能不全の家族に育てられ、何らかのトラウマを持っていると言うことです。それ以外の学部の生徒でトラウマを有するのは２割以下と言うことでした。自分の人生を救済的職業にささげようとする人の多くは自らが傷ついた体験を持っている人だと言うことです。</p>
<p><span id="more-328"></span></p>
<p>自分が深く傷ついたからこそ、人の苦しみが理解でき、助けてあげたいと願うわけです。良きサマリヤ人は強盗に半殺しにされた人を見た時、「可哀想に思った」とあります。直訳すると「腸がちぎれる気持ち」となります。これほどの同情心を寄せることのできる人は、自ら痛んだ経験なしにはありえないと思います。神様はヨシュアに「あなたの足が踏む所をあなたに与える」と言いました。そう、私たちが通過した、もっとも自分を苦しめた、そのトラウマとなる経験が、実は大いに私たちの使命に関わると言うことです。「傷と思えたものが宝に変わる」と言ったらよいでしょうか。</p>
<p>　しかし、傷ついた人に深い同情心を持つからと言って、傷がいやされないままミニストリーに向かうなら、トラブルを引き起こしてしまいます。傷ついた人は自分を助けようとする人に過去の関係を持ち出して、投影、転移によって、援助者を揺さぶります。自らの傷を解決しないままならば、その問題が引き出されてしまいます。私たちはまことのサマリヤ人であるイエス様に自らを介抱され、いやされる必要があります。イエス様に触れただけ、動機がきよめられ、まことの愛で援助ができます。</p>
<p>　良きサマリヤ人になれる資格のある人がいるとするならば、自ら傷つき、まことのサマリヤ人であるイエス様に介抱され、いやされた者だと言えます。あなたの人生に起こった痛みは宝に変えられます。</p>
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