運命の分かれ道

「ところで、イスカリオテのユダは、12人の弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。」マルコ14章10節。
ユダはなぜ、3年半も寝食を共にしたイエス様を裏切る気持ちになったのでしょう?

その前の出来事を読んでみてください。罪深い女が大事な香油を惜しげもなくイエス様のために注ぎだしました。それを見てユダは憤慨したのです。「もったいない」と。それに対してイエス様は、女をほめて、ユダをたしなめたのです。ユダはお金に執着する人で、預かっていたお金を着服していました。自分はイエス様を愛していないのに、口ではきれいごとを言っていたのです。イエス様を心から愛する女が、ユダの心を不機嫌にしました。ユダはイエス様にその偽善をつつかれたのです。それでイエス様に憎しみを覚えました。ユダは自分が否定されたと感じました。しかし、彼の偽りが暴露されたまでのことです。こんな時は人を恨むのではなく、自分が悔い改めないといけないのです。ここで人を恨むか、自ら悔い改めるかは、運命の分かれ目です。ユダは悲惨な選択をしました。イエス様の下へ行くなら、いつでも、赦しと解放の道が用意されています。