耳薬(ミミグスイ)エッセイ

「・・ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。」詩篇25篇3節。
25篇はダビデが息子のアブシャロムに謀反を起こされ、逃亡している時の内容だと言われています。
ですから、「裏切る者」とはアブシャロムのことであり、また名参謀のアヒトフェルのことです。
25篇を読むと、ダビデの心に罪責が強いことがわかります。
そうです。この災いは身から出た錆なのです(Ⅱサムエル12章10節)。

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「ところで、イスカリオテのユダは、12人の弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。」マルコ14章10節。
ユダはなぜ、3年半も寝食を共にしたイエス様を裏切る気持ちになったのでしょう?

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私たちの生きるこの世界は罪に満ちていて、社会やコミュニティに入って、人と関われば関わるほど傷ついてしまいます。だからと言って、ハウス栽培の野菜のように、自分を人から隔離して生きるのも得策ではありません。しかし、私たちが受ける心の傷は生命の危機となり、そのため関心が自己に集中してしまい、健全さを失わせて行きます。このトラウマから私たちは回復する必要があります。現代のトラウマ(心の傷)学の第一人者と言われるジュディス・ハーマンは「トラウマの記憶は認知情報処理では消化されない」と言っています。つまり、理屈や説得では無理なのです。頭ではなく、ハートに届くものしか解決がありません。また、「なぜこのようなことが私に起きてしまったのか?」「この不幸と思えることに何の意味を見出せるのか?」そのトラウマ体験に積極的意味を見出せない限り、前に進めないのです。さらにハーマン氏は、「トラウマから回復するもっとも有効なものは、超越者との情緒的、霊的な出会いである。」と言っています。人の慰め、哲学、精神修養ではだめなのです。宗教儀式でもだめです。超越者、つまり、生けるまことの神との人格的な結合、これが重要だと言うことです。(※神学者の言葉ではなく、一般の臨床医の言葉だと言う事に注目です)。トラウマ体験を通して、生ける神を見出す幸い。その出会いを通して、私たちの心の傷が輝く星に変わるのです。

 

イエスキリストにある希望をもつ私たちには永遠の未来という慰めがあります。しかし、現実を無視して未来だけを見て生きることはできません。なぜなら、過去の自分が今の自分を造り上げており、今の生き方が未来を決定するからです。過去と現在はつながっており、現在と未来もつながっているのです。これらは切り離すことはできません。有名なジョン・ウェスレーの言葉です。「今、神に向かって生きている者以外に、後に神とともに生きる者はいない。地上において神に似た品性を持つ者以外、誰も天において神の栄光を享受する者はいない。現在、罪から救われている者以外、将来の地獄から救われる者はいない。今、この時神の国を自分の心に持つ者以外は、誰も天において神の国を見ることはできない。今、キリストに支配を受けない者以外に、天においてキリストとともに治める者はいないのである。」信仰は今なのです。「いつか」では遅いのです。今、神を愛し仕えるしか道はありません。

「主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、・・主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。」ヨシュア10:10-11.
 私が高校生だった頃の話です。
毎年、Bクラスが指定席であった阪神タイガースが、1985年に突然変異して、強くなり、ついに日本一になりました。

 
 広瀬隆氏が昨年出した本において、地震の多い日本でいかに原子炉が危険かをすでに警告していたことがわかる。この本の書評をアマゾンで覗いて見ると、広瀬氏が専門でないことを理由に、トンデモ本であると科学者や専門家からは断定されて、嘲笑されていたと言う。

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 私が中学生の時、少年ジャンプで「キャプテン」という少年野球マンガがありました。主人公の谷口君は気が弱く、優しい性格でした。彼は野球の名門中学の野球部員でをしたが、訳あって都立中学へ転校しました。転校した中学で野球部に入部した所、名門中から来たと言うことで、部員たちは大喜びします。そして、谷口君に過度な期待を寄せます。実は、谷口クくんは名門出身とは言え、泣かず飛ばずで監督にも名前を覚えられていない補欠だったのです。みんながあまりにも谷口くんに期待するため、本当は補欠だと言い出すことができません。それで、仲間を失望させたくないあまり、谷口くんは仲間の期待に応えるために、猛練習を始めます。そのプロセスで仲間と一緒に成長し、期待以上のプレイヤーに成長して、名門校を倒すという内容です。

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 人格(person)はラテン語の「Persona」から由来すると言われます。主な意味は「演劇用仮面」に使われたそうです。演劇によって俳優は役があります。芝居のたびに仮面をかぶって、その役を演じていくわけです。つまり、個人の人格性は関係の中で個人の役割を果たしていくこと、それがそもそもの人格の意味でした。

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  精神科医の星野 仁彦氏が全国のある大学講師の集まりで調査した所、福祉、心理学系に在籍する生徒のおよそ半数は機能不全の家族に育てられ、何らかのトラウマを持っていると言うことです。それ以外の学部の生徒でトラウマを有するのは2割以下と言うことでした。自分の人生を救済的職業にささげようとする人の多くは自らが傷ついた体験を持っている人だと言うことです。

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