モイシェー・ロージェントという「伝道王」と言われた人物がいます。彼は「jews for christ jesus」というユダヤ人伝道において大きな道を開いた伝説的な人物です。彼は自分の奥さんをこのように紹介しました。「私の妻セイールは伝道が下手な女性です。今までの生涯で二人しか伝道に成功していません。一人が彼女の娘で、もう一人が彼女の夫である私です。」どんなにユダヤ人宣教に活躍したこの人でも、奥さんが伝道してくれなければ、すべての働きは始まりませんでした。偉大な働きの陰には、人知れずに大切な役割を隠れて担った人物がいるものです。アンデレもまさにこのモイシェーの奥さんのような、隠れた働きをした人です。
1.アンデレの生い立ちと献身
① 生い立ち
アンデレは、前回、学んだペテロの弟です。兄同様、ガリラヤで漁師をしていました。ガリラヤのベッサイダ出身(ヨハネ1:33)で、兄弟と漁師という仕事のためか、カペナウムに引っ越したようです。ベッサイダはイエス様が不信仰な町と嘆かれた地域でした(マタイ11:22)。そんな土地から弟子たちが選ばれたというのも、神の憐れみではないでしょうか。
また、アンデレという名前は「男らしい」「雄々しく」という意味があり、ギリシャ語に由来する名前です。兄シモンがヘブル語の名前とは対照的で、ヘレニズム文化にかぶれた人物だったかもしれません。
② 献身
ガリラヤ地方にいたイエス様が最初に弟子として招いた人がアンデレです。
「『イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについてきなさい。人間を取る漁師にしよう』といわれた。二人はすぐに網を捨てて従った。」マルコ1章16~18節。
アンデレは、兄シモンと一緒に献身して、最初にイエス様の弟子となった二人のうちの一人です。
しかし、ヨハネの福音書を見ますと、さらに新しい内容がわかります。
「その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。・・イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア-『油を注がれた者』という意味-に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。」ヨハネ1章35-42節
ここでヨハネは二人の弟子と一緒にいたとあります。そして、その一人がアンデレでした。アンデレはもともとヨハネの弟子であり、兄シモンをイエス様に紹介したのもアンデレでした。アンデレはヨハネから離れてイエス様の元へ行くのに躊躇はありませんでした。彼には真理を見つけて、その道を迷わずに進むことができる人でした。もし、アンデレが真理よりも義理を大切にする人なら、この決断はできなかったし、メシアとともに歩む人生は送れなかったでしょう。彼は他の誰かの動向は気にせず、自分が真理を見つけたと思えば、仕事も人間関係でも手放す人でした。
2.性格
(1)連結者
「男らしい」「雄々しい」という名前とは正反対で、おとなしく、小心者の穏やかな性格と言えます。それは兄シモンとは対照的でした。兄のように卓越したリーダーではありませんが、たびたび重要な役割をします。彼の特徴をある人は「偉大な連結者」と呼びました。偉大な何かと何かを結び合わせて、その効用を何倍にもしてみせました。その働きのため彼は尊く用いられました。
かつて、レーガンというアメリカの大統領がいました。映画俳優として有名ではありませんが、強いアメリカを作りたいという信念に、多くの国民が賛同して、彼を大統領に押し上げられました。当時のイギリスのサッチャー首相がレーガン大統領の印象について語っています。「レーガン氏と会って話をしてみると、それほど多くのことを知っている人ではなさそうでした。いろんな分野について話をしても、私の方が具体的な部分では知っていました。アメリカには彼よりも優秀な人が大勢いるのではないかと思いました。けれども、彼には卓越している点がありました。それはどんな問題に直面しても、誰がこの問題を解決できるか、誰にこの問題を相談すればいいのかをよく知っている人でした。」彼自身は優秀でなくても、優れた参謀を味方につけて、その問題をその参謀に委ねていくことのできる、レーガン大統領も連結者でした。
(2)サービスの時代
かつてP・ドラッガーという経済学者は「20世紀は製造の時代、21世紀はサービスの時代」だと予測しました。サービスとは良いものと良いものを結び付ける役割ができることを言うのです。一昔前は「ノウハウ(know how):どのように問題を解くのか」、そんな人が求められました。しかし、今は「ノウホエア(know where):どこにその情報があるのか」その情報を探し出すことの方がずっと重要になっています。
アンデレも神と人をつなげる連結者でありました。神の求めと、人の必要をつなげることのできる「ノウホエア」を実践した、たぐいまれな人物です。アンデレが、明るく積極的で人望の厚い兄シモンに嫉妬したり、妬んだなら、用いられることはなかったでしょう。アンデレは自分の特質を自分で理解して、黒子に徹することができる人でした。
3.連結者としての信仰の実践
連結者としてのアンデレの働きはどのように、その信仰として生かされたでしょうか。福音書には彼は多くは登場していません。彼はまとめると3つの信仰の事業に参加したと言えます。いずれも、それは「連結者」としての役割だとわかります。
① 偉大な指導者をメシアにつなげる
最初に説明したように、イエス様に最初に出会ったのはアンデレでした。その偉大な方を知ったアンデレは、すぐに兄シモンにイエス様を紹介して、二人をつなげました。友人のナタナエルは、いちじくの木で祈るまことの人でした。その彼もイエス様とつなげたのがアンデレでした。冒頭のモイシェーさんの妻のように、偉大な信仰者になる人を神につなげるのがアンデレの役割でした。
② 神本主義思考で奇蹟につなげる
男だけで五千人という総勢一万人を超えると思われる大群衆を前に、イエス様は弟子たちを試すために、こんなことを相談しまた。
「イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。『どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。』」ヨハネ6:5.
その言葉に数学が得しそうなピリポがすぐ反応して言いました。
「ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」 ヨハネ6:7.
当然、彼の計算は正しく、二百デナリでは、一万人を前にして焼け石に水です。しかし、これはピリポを試すために質問したとありますから、イエス様はそんな常識の言葉を期待していたわけではありません。不可能と思える中でも、イエス様は信仰を期待していたのです。そのイエス様の期待に答えた人物がアンデレです。
「弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。『ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。』」ヨハネ6:8,9
アンデレの頭は常識が働きませんでした。ただ、あたりを見回して、パン5つと魚5匹を持っていた少年を見つけて、どうなるかわからないが、とにかくイエス様の元へ連れてきました。無駄とも思えるものでも、とにかく自分の環境にあるものを、イエス様の元へつなげる、まさにアンデレの特徴を現わした行動でした。
現代人は忙しく、仕事に家庭にいろんなスケジュールが入り込んでいます。そんな多忙な時代に祈り、聖書を学ぶ時間をどうやって割くのでしょうか。一人一人事情を聴けば、十分、納得できる理由があります。生活ぎりぎりの人に十分の一献金は適用されないのでしょうか。人情を考えれば、とても要求できないことです。エリヤはわずかな小麦粉をこねて、パンを焼いて食べて死のうとしているかわいそうなやもめ親子に対して、パンを焼いて、自分に食べさせよと考えられないことを要求しています。これが神の要求です。人情を超えた神の要求に答える時、神の奇蹟が働いて、やもめ親子は助かりました。
教会が人本主義でやっていくなら、人に無理なく、合理的な牧会が必要でしょう。多くは人間のもっともな理由で、信仰の行為ができないと納得しています。しかし、このような合理的信仰で生きるなら、神の奇蹟を体験できないのも事実です。神が働かれる場所は、人間の理屈や計算を超えた神に期待する人本主義の考え方にあるのです。
② ギリシャ人をメシアにつなげる
ヨハネ12章20~26節で、ギリシャ人がイエス様と話をしたがっていました。それで、ギリシャの名前を持つピリポに近づきました。その時、ピリポはアンデレに相談します。
「ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。」ヨハネ12:22
異邦人とユダヤ人が接触することは容易ではありませんでした、ピリポはどう対応するのか迷ったようです。そんな時、頭ではなく行動が先に出るアンデレに相談したのです。その後どうなったか書いていませんが、アンデレは偏見や先入観の前に、とにかくイエス様の元へつなげる人だったのです。「なせばなる」これがアンデレの信仰と言えます。この役割は決して小さくありません。
4.アンデレの最後
あくまでも伝承ですが、ペテロがローマにおいて、ネロ皇帝の演技場で逆さ十字架にかけられたように、アンデレも、伝道していたギリシャのパトラスにおいて、民衆の前で紀元69年11月30日に、X型の十字架にかけられて殉教したといわれます。その伝承には、彼の熱心な心をあらわす言葉として、「貴い十字架よ。あなたにかけられた師であるキリストの弟子、私を受けてください。ありがたい十字架よ、長くあなたにあこがれていた私は、やっと、私のために用意された平和と喜びをもってあなたのもとへ行きます」と記されています。
黙想・適用
1.自分の賜物を自分でしっかり捉えて、人と比べることなく賜物にそって生きているでしょうか。
2.これからはサービスの時代です。人のニーズを満たすために、いろんな情報を握り、紹介できる人になっているでしょうか。
3.あなたは人本主義で生きていますか。人間の常識や理屈、情を超えた神本主義に生きているでしょうか。
4.自分の実力を現わすより、人の役に立つように連結する人物になりましょう。