聖書人物伝:新約8 ヨハネ(12弟子)

 イギリスのトレバー・ベイリスさんは、ある日エイズ予防キャンペーンをテレビで見ていると、アフリカでは極度の貧しさに、電池が買えなくて、ラジオを聴ける人がほとんどいないため、エイズに関して、正確な情報を知らずにいると言うことでした。エイズを食い止めるためには、情報が必要だとテレビで訴えていました。ベイリスさんは、何とかアフリカの人たちに役に立ちたち一心で、たいへんな苦労をして、電池のいらないゼンマイ式ラジオを開発しました。そのラジオが大ヒットして、年間100万台も生産される大ヒットとなり、彼は莫大な財産を得ることになりました。しかし、ベイリスさんは、その収入をぜんぶ、アフリカの人たちのために使ってほしいと辞退しました。彼の人生は今まで、人のために何の役に立たないものだったと言っていました。そんな彼がゼンマイ式ラジオを発明して、アフリカの人たちの救済に役立ったことで、彼はそれだけで満足で、お金も名誉もいりませんでした。「君は愛されるため生まれた」という有名な曲があります。この曲にはアンサーソングが存在します。その内容は「君は愛されるため、そしてその愛伝えるため・・」愛を受けた者は、その愛されることにとどまらず、愛を与えていく。そして、愛の実を結んで行く。そのことを目的とした歌詞になっています。人間は人を愛することで、満足し、幸せになるように、神様は造られました。今回、学ぶ弟子のヨハネもそんなイエス様の愛によって人生を愛に生きる人として変えられた人でした。

 

1.ヨハネの特徴

 ① 生い立ち

 ヨハネはガリラヤ出身で、もともとバプテスマのヨハネの弟子でした(ヨハネ1:37)。兄ヤコブと兄弟二人でイエス様の弟子になりました。父親はゼベダイという人でした。彼らはイエス様に出会った時、ペテロとアンデレ同様、ガリラヤ湖の漁師をしていたようですが、ペテロたちとは経済事情が大きく違いました。まず、ゼベダイ親子は船を所有していました(マルコ1:19)。さらに雇い人もいます(マルコ1:19)。ガリラヤ出身でありながら、大祭司の知り合いと言うことですから(ヨハネ18:16)、ゼベダイはガリラヤでは金持ちで有力者であることがわかります。もしかしたら漁師というのは家業ではなく、多く手がける事業の一つだったのかもしれません。ヨハネとヤコブは裕福な家庭で育ったお坊ちゃんであったわけです。

② 献身

  ペテロとアンデレが漁をしているその場でイエス様にスカウトされました。その近くで同じように漁をしていたヨハネとヤコブはわずかな時間差はありましたが、ほとんど同時に献身へと招かれました。そして、すぐにすべてを捨ててイエス様に従いました。一見、ペテロたちと同じように何の躊躇なく従っていますが、ヨハネの献身には犠牲が大きいのがわかります。

 「すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。」マルコ1:20.

  ペテロたちは網を捨てたとだけありますが、ヨハネとヤコブは網だけではなく、舟も雇い人も、そして父も残したとあります。父を残したとは、その多くを所有する父からの相続も捨てたということでもあります。あまり財産を所有しないペテロと比べて、多くを所有するヨハネとヤコブの方が、犠牲が大きかったと言えるでしょう。

 ③ 性格

(1)短気 

 イエス様がヨハネとヤコブの兄弟に「ボアネルゲ」とあだ名をつけました。意味は「カミナリ」です。二人は気性の激しい兄弟でした。ここで二人の性格について問題が2つほどあります。1つは、「短気」という性格は存在しないということです。神様が人を短気になるように造られることはないはずです。彼らは生育過程で性格が歪められ、短気になったのです。たまに「私は短気だから」と、あたかも自分の変えられない性格かのように言う人がいますが、そのように開き直られては、周りはいい迷惑です。もし、短気がその人の先天的な性格であれば、変えることは間違いですが、歪んだわけですから、本来の性格に直りますし、直すべきです。2つ目は、兄弟で短気だったということです。いくら環境が同じで兄弟であっても、別個の存在が同じように短気になるというのは、やはり生育に問題があると言えます。考えられるのは、二人の母親の価値観にあります。二人の母もイエス様の働きに賛同していました。息子たちがイエス様に従うことを喜んでいます。しかし、価値観が誤っていました。

 「イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」 マタイ20:21

  彼女には信仰もあり、子供たちに対する深い愛情もありますが、上昇志向で、地位や名誉を強く求める人でした。その価値観で子供を育てたのでしょう。ヨハネはきっと、兄と比べられたり、存在自体を受容されるのではなく、能力とか成績で評価された可能性が高いです。そのような価値観で扱われた怒りが二人にはあると思われます。

 (2)野心家

 ヨハネの母が出世を願い出たと言いましたが、彼ら自身も別の場所で、イエス様に自分たちの出世を願っています。彼ら自身が野心家でした。

 「彼ら(ヨハネとマルコ)は言った。『あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。』」マルコ10:37

  それを聞いた弟子たちは激怒したようです。彼らの野心は弟子たちの関係も悪くしました。

(3)無神経

 二人には、裕福な育ちに見られる無神経な部分も持ち合わせています。短気と無神経さを併せ持った気難しい兄弟であったのです。

 「弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」 ルカ9:54.

  イエス様を受け入れないサマリヤ人に対して、激しい怒りを現わして、そのようなことを言い出しました。きっと、預言者エリヤをまねようとしているのでしょうが、イエス様は厳しく二人を戒めました。サマリヤ人がなぜ、簡単に受け入れないのか?彼らの気持ちとかを全く考えない様子です。ある人が祭りに出かけて、花火が上げられるのを楽しんでいたら、どこかから声が聞えて来て、それが路傍伝道の拡声器だとわかりました。「イエスを信じない者は滅びだ」とか過激なことを言っていたそうです。日常を忘れて、祭りの風情を楽しんでいる時に、何とも無神経な行動でしょうか。言っていることは当たっていますが、そのような伝達方法で、人が心を開くでしょうか?自らも同じ罪人であることを自覚し、謙遜な態度で伝道しなければ、人の心には届きません。

(4)心が狭い

ヨハネの特徴が垣間見える場面があります。弟子たちとは別の集団が、イエス様のまねごとをした時の態度です。 

「ヨハネが答えて言った。「先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。」ルカ9:49.

 ヨハネは弟子としての自負心の強い人でした。ですから師弟関係の中で、仲間という意識が強いわけです。それは素晴らしい部分ですが、それが時には問題になりました。イエス様はたとえ、一緒に行動しない者でも、イエス様に共鳴して、それをまねようとしている者は味方として扱うように言われました。イエス様の寛容さ、心の広さがわかります。イエス様を信じていると告白しているならば、どんなに性格や立場の相違があっても、受け入れる広い心を持つ必要があります。心を広くするには、多くの人とかかわり、格闘することです。それによって、私たちの心の領域は広げられていきます。ヨハネは他者を受容する訓練ができていない人でした。

(5)観察力が鋭い

  ヨハネはいつも、物事をよく観察し、見抜く力のある人です。イエス様がよみがえったと聞いて、墓を観察して、その結果、復活を信じました(ヨハネ20:108)。また、復活したイエス様がガリラヤに現れた時、弟子たちはみなイエス様を見ました。復活のイエス様は姿が以前とは違うようで、みんな認識できないようでした。ヨハネだけにはわかりました。その観察力ゆえ、彼は黙示録という、普通の人では混乱するような、神の啓示を見て、文書にすることができました。

「そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。」ヨハネ21:7. 

(6)親密さを求める

 ヨハネはいつでも、イエス様の一番近くに自分の居場所を設けました(ヨハネ13:23)。彼は自分が愛する対象に親密に交わることを求めました。ヨハネは自分のことを「イエスが愛しておられた者」と呼び、深い愛の関係にあることをヨハネの福音書は強調されています。それはダビンチコードなどで聖書を貶めようとする者たちが、同性愛と揶揄するほどです。サマリヤ人に対して、天から火を下そうと言ったのも、「私の愛する主を拒絶するとは何事か」という、愛する者を拒絶する激しい怒りから出たものです。このように、ヨハネには他の人にはない、深い感受性を備えた人でした。

(7)面倒見がよい 

 イエス様は十字架で息を引き取る前に、自分を育ててくれたマリヤのことを気にかけます。ヤコブら弟もいたのですが、なぜか、ヨハネにマリヤの面倒をみるように言われます。

 「それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。」ヨハネ19:27.

  晩年もヨハネは長老として、多くの者の面倒をみていたようです。そのような人情にあふれ、人を憐れむ心を持った人でした。

 2.変えられた人ヨハネ

 (1)愛を強調したヨハネ

  聖書の記述をそのまま受け取らない自由主義神学の学者には、ヨハネの手紙の著者はヨハネではないと言う者もいます。その理由はヨハネの手紙があまりにも愛と配慮に満ちているため、ボアネルゲと呼ばれたヨハネとは似ても似つかぬ人物に写るからです。ヨハネの手紙においては、お互いに愛し合うことが何度も繰り返し勧められています。その愛はキリストから流れる愛であり、その愛を受けた者は人を愛するようになることが体験として語られているのです。私は確信します。短気でどうしようもないヨハネが、イエス様の愛に触れられて、愛の人になったことを。

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」1ヨハネ3:16.

 

 R先生のセミナーで「愛されているはず、ふり、つもりでは絶対に通用しない」と教えます。心の深い部分で本当の意味でイエス様に触れていないなら、人生の重要な部分でぼろが出るのです。ヨハネはイエス様とのいのちの関係の部分で全き愛に捕らえられるように教えています。

 「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」1ヨハネ4:18.

(2)三本柱の一人

  初代教会において、ヨハネはペテロと主の兄弟ヤコブで教会の柱として、教会を支えていたことがわかります。

 「そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。」ガラテヤ2:9.

(3)使徒の中で最も長生きをした

 兄のヤコブが早々と殉教したのとは対照的に、ヨハネは紀元98年に、長寿を全うしてエペソで死を迎えたと言われています。ヨハネが年老いたある時期、ローマドミティアヌス帝によって、迫害を受けて、パトモス島に幽閉されました。その洞窟でヨハネの黙示録という啓示を含んだ手紙を書きました。その後、エペソに戻って、小アジア地方で教会を多く建て上げました。 

 ペテロはイエス様から殉教の死を暗示する言葉(ヨハネ21:18)をかけられた時、隣にいたヨハネの運命はどうか尋ねました(ヨハネ21:21)。ヨハネのことについては、イエス様はあえて語りません。そして、ペテロに「あなたは、わたしに従いなさい。」と自分の与えられた人生を全うするように言われました。ヨハネ以外の使徒はみんな殉教しました。ヨハネだけは長寿を全うしたのです。クリスチャンであっても、みなその導かれる運命は違います。しかし、主にある人生は平安であり、やがて安息に入れられます。自分の境遇と人の境遇を比べることなく、前にある与えられた人生を進んで行きましょう。