聖書人物伝:新約9 マタイ(12弟子)

 福音書の時代は、イスラエルはローマに支配されていました。パレスチナ地方を支配して、税金を徴収する手段として、取税人をユダヤ人の中から雇い入れました。取税人の仕事はローマに納める税以外に、不当に取り立てることがまかり通っていました。それはローマが意図して許容したものです。植民地とされた地には当然、ローマに対する反感があります。その怒りの矛先を向ける対象として、ローマは取税人を利用しました。ユダヤ人から見た取税人はローマに取り入って、同胞からお金を騙し取って私服を肥やす、許しがたい存在に写ります。そうやって、ローマに対する怒りを逸らす役割のために立てられた職業です。当時は「取税人と遊女」と罪人の形容詞のように呼ばれていました。取税人は会堂への出入りも禁止で、献金も汚れた金ということで、拒否されていました。ユダヤ社会で最も卑しく、嫌われていた職業です。そのように取税人とは憎しみの対象となりながらも、お金はたくさん入ってくる職業でした。お金と引き換えに、人との暖かい交流を犠牲にして生きていました。ですから、取税人とは、豪華な物に囲まれながらも虚しく、淋しい人であったことが想像できます。

 

1.マタイの特徴

① 生い立ち 

 カペナウムで税を取り立てていたことから、ガリラヤ出身である可能性が高いです。本名はレビと言います。この名前は宗教儀式いっさいを引き受けるレビ族出身であり、神に献身する人の名前であるはずなのに、皮肉にもどういうわけか取税人となっていました。

 ② 献身

  マタイが取税人という汚れの仕事をしている只中にイエス様は近づかれ、マタイを弟子として招きました。

 「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって『わたしについて来なさい。』と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。」マタイ9:9

 マタイには迷いはいっさいなく、すぐに招きに応答していることがわかります。その理由を考えると第一は、取税人という職業が人生の生きる意味を見いだせないということが言えます。権力者に取り入り、同胞から不当にお金を取る。結果、人に憎まれる。こんなことを繰り返せば、自己嫌悪になって苦しむことでしょう。マタイもこの職業に嫌気がさしていたと思います。第二に、お金が空虚さを増大させたことでしょう。日本は世界で有数の金持ちの国で、国民全体が裕福です。結果、糖尿病などの肉体的病に加え、欝と自殺率が高いということです。物に囲まれれば、それだけ虚しく、問題が大きくなるわけです。マタイもそのような空虚さをかかえていたと思われます。第三に、レビという名前にあるように、彼の先祖は神に仕えた人たちです。彼の中に神に仕えたい使命感は人一倍あったことでしょう。そんな自分がその対極にいる。その葛藤の中で、イエス様の招きは、彼の宗教心をめざめさせることになったと思います。第四に、この理由が一番大きいと信じますが、イエス様に惚れたと言うことです。これから伝道を始めていく時に、自分の弟子に取税人が混じっていることは、評判を気にする人だと絶対に避けたいことです。イエス様は人が拒絶するようなマタイを選びました。それは、イエス様が人の評価をまったく気にしない人であることがわかります。また、このような取税人を招くことを通して、福音にはどんな罪深い者にも開かれていることを暗示していることがわかります。また、弟子たちの中には熱心党員の人もいます。これは民族主義者、超右派です。ローマと戦うために命をかけるようなグループです。取税人と熱心党員が同じ弟子の仲間にいることをよく考えてみてください。当然、取税人は敵対関係であり、殺意さえ覚えることでしょう。マタイを仲間に入れることは、摩擦を生まないはずはありません。イエス様の愛はこのような敵意を乗り越えさせて、兄弟愛に変えていくことを意図していました。マタイはユダヤの宗教にはない、本物をイエス様から感じ取ったことでしょう。

 「すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。・・わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」マタイ9:11-13.

 ③ 性格・特徴

(1)大ぶるまいした人

 マタイは献身してすぐにやったことは、自分の家に人々を呼んで、パーティーを開きました。

「そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。」ルカ5:29.

 ザアカイも、救われた喜びで自分の富をもって、人々に仕えたいと申し出ましたが、マタイも同様に、イエス様に愛されて、選ばれた喜びを分かち合うために、人々に大ぶるまいしました。 

「また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。」Ⅰテモテ6:18.

私たちも福音の豊かさを大ぶるまいして表現するべきです。お金を使ったから減るのではありません。むしろ、人々を潤して、自分の心も豊かになって流れていきます。大ぶるまいする時は、特にお返しできない人にしたらいいと教えています。

「祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」ルカ14:13-14.

 食事は人の心を開きます。マタイがパーティーによって、イエス様に従う取税人が大ぜい救われたと書いています。(マルコ2:15)

 (2)罪人を愛する人

  マタイがパーティーに招いたのは、取税人の仲間や罪人とレッテルを貼られた人たちでした。当然、マタイが一緒に働いていた仲間たちです。今までは嫌われ者同士、傷を舐めあって生きていましたが、マタイは生まれ変わり、彼らもイエス様を信じてほしいと思って、このようなパーティーを開いたのです。聞き屋で奉仕する者の多くは元暴走族、薬中、ホームレスなど、挫折を経験した者がほとんどです。アウトサイダー(はずれた人)の痛みをわかるからこそ、裁くことなく、憐れみの心で近づくことができるのです。

 (3)ささげものに関心のある人

  マタイ自身が書いたマタイの福音書には、他の福音書とは違って、ささげものに注目した内容が多いのがわかります。

 「そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」マタイ2:11.

 「ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。」マタイ26:7.

 「夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。・・岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。 」マタイ27:57、60.

  マタイは、お金を有効に使うことを、いつも念頭においていたと思われます。一番の有効な使い方は、当然、天に宝を積む方法です。マタイは、職業柄、計算は上手だろうし、有効な使い道をよく知っていたでしょう。そのように、彼の賜物が宣教にも用いられました。自分の取税人という職業をきよめていただいて、神のために用いました。

 2.著述者として

  マタイはイエス様の生涯を福音書として残しました。イスカリオテのユダと同様に、教育水準が高く、才能豊かだといわれています。マタイの福音書には系図から始まり、ユダヤ人に配慮されており、ユダヤ人に向けた福音書だと言われています。彼にとって、同胞とは、自らお金をゆすり取り、苦しめた人たち。一方で憎まれ、自分を疎外した人たちです。そんな自分が憎み、憎まれた同胞を愛し、伝道しました。これにはイエス様の罪人を愛し、選ばれる恵みなくしては決してできない生き方です。彼はイエス様の招きがもし、なかったら、一生、取税所にふんぞり返って、眉間にしわを寄せて、不当なお金を取り立て、私服を肥やしていたことでしょう。そんな彼が、主の憐れみで、神の働きに参加させていただいたのです。

 彼は12使徒の名前を列挙する時に、自分の名前にだけ「取税人マタイ」と書いています。自分がどれだけ罪深い世界から拾われて、弟子になったかを伝えずにはおられなかったのです。そんな彼の文章は、罪に絶望した人たちに、大きな希望を与えたことでしょう。

黙示録では新天新地に現れる12の土台があります。それは12弟子を意味します。そんな、名誉な評価を受ける者の一人に数えられたのです。

 3.晩年

  マタイはユダヤ人を中心に宣教活動をしていました。そのために福音書も記しました。それから14年経って後、ギリシャ、トルコで宣教し、さらにエチオピア、ペルシャ、マケドニア、シリアと広範囲で宣教地を広げて行きました。一説では、エチオピアから戻ろうとする途中のエジプトで殉教したと言われています。