人生で受ける傷をどう扱うか

 ある男性が半月板の手術を受けました。術後、痛みが激しいために耐えかねた彼は、伸ばせない膝をかばうために、枕を挟んでいました。それを見た医者は「こんなものを入れていたら、いつまで経っても回復しないよ。」そう言って、枕をどかして、そして、痛みのある膝を無理矢理上から押したそうです。少々痛くても足を伸ばすようにしないと、曲がったまま固まってしまうと言う事です。

 私たちは人生で傷つくと、その痛みを感じたくないために、そのデリケートな部分をかばって保護しようとします。しかし、そのような自己防衛をすると、傷はいつまでもいやされないのです。その傷は保護されていくと、歪んだ形で人生に現れていきます。

 小柄でありながら、昭和の大横綱となった千代の富士が、大型力士を相手に体を酷使したために、肩を何度も脱臼するようになりました。彼の対応は、「鍛えてもっと強い肩を作る」でした。弱い肩をさらに鍛え抜きました。そして、鎧のような筋肉を手に入れ、鬼のような強さを発揮したのです。彼はインタビューで「小さな自分が横綱までなれたのは、肩を脱臼したおかげです。」。そう言っています。ですから、心に傷があっても前進するべきです。痛くても、多少の酷使と思われても、それに耐えて、人生に立ち向かう必要があります。そうするなら、傷がいやされるだけではなく、傷をカバーしようとする、他の機能も鍛えられて、その人は強くされ、整えられていくのです。