人生で受ける傷をどう扱うか2

  精神科医の星野 仁彦氏が全国のある大学講師の集まりで調査した所、福祉、心理学系に在籍する生徒のおよそ半数は機能不全の家族に育てられ、何らかのトラウマを持っていると言うことです。それ以外の学部の生徒でトラウマを有するのは2割以下と言うことでした。自分の人生を救済的職業にささげようとする人の多くは自らが傷ついた体験を持っている人だと言うことです。

自分が深く傷ついたからこそ、人の苦しみが理解でき、助けてあげたいと願うわけです。良きサマリヤ人は強盗に半殺しにされた人を見た時、「可哀想に思った」とあります。直訳すると「腸がちぎれる気持ち」となります。これほどの同情心を寄せることのできる人は、自ら痛んだ経験なしにはありえないと思います。神様はヨシュアに「あなたの足が踏む所をあなたに与える」と言いました。そう、私たちが通過した、もっとも自分を苦しめた、そのトラウマとなる経験が、実は大いに私たちの使命に関わると言うことです。「傷と思えたものが宝に変わる」と言ったらよいでしょうか。

 しかし、傷ついた人に深い同情心を持つからと言って、傷がいやされないままミニストリーに向かうなら、トラブルを引き起こしてしまいます。傷ついた人は自分を助けようとする人に過去の関係を持ち出して、投影、転移によって、援助者を揺さぶります。自らの傷を解決しないままならば、その問題が引き出されてしまいます。私たちはまことのサマリヤ人であるイエス様に自らを介抱され、いやされる必要があります。イエス様に触れただけ、動機がきよめられ、まことの愛で援助ができます。

 良きサマリヤ人になれる資格のある人がいるとするならば、自ら傷つき、まことのサマリヤ人であるイエス様に介抱され、いやされた者だと言えます。あなたの人生に起こった痛みは宝に変えられます。