神の子としての地位

 私が中学生の時、少年ジャンプで「キャプテン」という少年野球マンガがありました。主人公の谷口君は気が弱く、優しい性格でした。彼は野球の名門中学の野球部員でをしたが、訳あって都立中学へ転校しました。転校した中学で野球部に入部した所、名門中から来たと言うことで、部員たちは大喜びします。そして、谷口君に過度な期待を寄せます。実は、谷口クくんは名門出身とは言え、泣かず飛ばずで監督にも名前を覚えられていない補欠だったのです。みんながあまりにも谷口くんに期待するため、本当は補欠だと言い出すことができません。それで、仲間を失望させたくないあまり、谷口くんは仲間の期待に応えるために、猛練習を始めます。そのプロセスで仲間と一緒に成長し、期待以上のプレイヤーに成長して、名門校を倒すという内容です。

私たちはイエス様を信じて、神の子とされたとあります。しかし、現実の自分を見たときに、神の子からはかけ離れた品性で、そのギャップに苦しみます。神様はそんな弱く、神の子にふさわしくない私たちをあえて、神の子とします。まず、地位を与えたのです。「わが愛する子よ。」と天の父は私たちを呼びます。最初が抵抗があるでしょう。不釣合いな自分に葛藤するかもしれません。しかし、私たちが天の父と関係を築いていく時に、その愛に励まされて、自分もその神の子の地位にふさわしい振る舞い、態度を身につけようと心がけるようになります。その励ましと期待に包まれて、しだいに神の子の地位にふさわしく自分が変えられていくのです。神様はまず、私たちに高貴な地位をまず与え、その地位に沿って、私たちを扱い、整え、神の子にふさわしい者に変えてくださいます。私たちの向かっている方向を知るなら、今の自分に失望することはありません。