欲望のトレッドミル

今、私はジムに通って運動をしています。
いろんなトレーニングマシーンがありますが、一番、利用するのが、「トレッドミル」です。速度を設定して、そのベルトコンベアー上のマシーンの上で走ります。同じ場所で、走り続けることができます。

トレッドミルはもともと、マウスの遊具を呼ぶときに使った言葉です。
これはゴールのないレースを形容する時に使う場合もあります。

経済学者も「欲望のトレッドミル」という言い回しをします。
いろんな商品が、毎年のように新商品を出します。すると、今持っているものがまだ使えるのに欲しくなります。メーカーも人々の心理をよく知っていて、欲をうまく利用して商売します。

私たちはいろんなものを欲しがります。求めます。
「これがあれば、このことがかなえば」しかし、じっさいには、それを得ても満足しません。「もっと」となります。たどり着かないゴールを走っているうちに欲望は肥大化して辛くて嫌になっても、そのレースから降りることができません。

私たちは、欲望のトレッドミルから降りて、イエス様の与えるいのちの水によって、安息を得て、神の喜びの働きに参加するのです。